私たちが踏み出した、新たな一歩
誰もが思い描いたような人生を生きられるものではない。壁にぶつかり思い悩むが、自分の意思や夢は誰かに肩代わりしてもらうわけにいかない。
訳ありの事情を背負った若者が、ぼんやりと目標を見定め歩き出し、徐々に自らの道を自覚していく。「Re:start」ではそんな若者たちを紹介している。就活を経て、社会人として踏み出し、何かを見出した若者にスポットを当て、その人生にうなずき、静かに拍手を贈る企画である。
シリーズ第5回はモリノブライズ株式会社 ウェディングパートナー課 営業渉外 岸宏通さん(23)。入社は2018年7月だ。1950 年創業で、横浜市に本社を置くモリノブライズは婚礼レンタル衣装事業をはじめ、ウェディングドレスの販売、ブライダル衣装の着付け及びメイクアップの技術指導、写真撮影等の事業を行なっている。
ハマると凝るタイプ
出身は横須賀です。高校1年からマクドナルドで週に3回、夏休みは週5回、クルーとして働きました。僕はキッチンでハンバーガーを作る業務を担当しましたが、思い出に残るのは横須賀近郊のマクドナルドのクルーの大会です。お客様から注文を受け、バンズを焼いてそれに注文の品を挟み、紙に包むまでのオペレーションの速さと、正確さと丁寧さを審査員の前で競う。
80名ほど参加しましたが、その中のオペレーション部門で2位になりました。ビッグマックセットの無料券を1年分もらい、高校のクラスのみんなにあげて喜ばれました。ハンバーガー作りが自分に合っていたんです。キッチンでは普段から早く作ることを究めようと工夫しながら仕事をしていました。僕は何かを作るのが好きだし、ハマると凝るタイプですね。
両親は僕が5才の頃に離婚して、母親は歯科衛生士や老人介護施設のヘルパーとして働き、僕と弟を育ててくれました。母子家庭なので経済的な余裕がありませんでしたから、奨学金を受けられるよう準備をし、高校からの推薦で入学できる茅ヶ崎市にキャンパスがある大学の国際学部に進学したんです。
どうしたら市の納得を得られるか
大学時代の思い出は、アカペラ部の活動ですね。サークルに勧誘されハマりまして、コーラスで声を重ねていくと、想像を超えたきれいな音になっていく。そんなアカペラに魅了されました。サークルのメンバー、6人で一組のバンドを編成しますが、僕らのバンドはスピッツの「チェリー」という曲に、難度の高いハモりを入れカバーをして、学内のオーディションは1位でしたが、外に出ればごく普通のレベルでした。
「メジャーなアカペラのライブに出られるように、技術を高めようぜ!」と、100名ほどいた部員に呼びかけても、イマイチみんなのモチベーションが高まらない。「どうしたら、みんなの意識を変えられるかな」そんなサークル内での話し合いで、「岸さんがリーダー的な立場になればいいんじゃない」と。そこで大学3年の学園祭では、僕がアカペラ部のプロデューサーを引き受けたんです。
学園祭のライブに人を呼びたい。そのための宣伝として、大学に近い茅ヶ崎駅前でアカペラのストリートライブをやろうと。でも、茅ヶ崎駅の許可がなかなか下りなかったんです。どうしたら市側の納得を得られるだろうか。
市役所に足を運ぶ中で、学園祭の宣伝だけではなく、市の活性化につながることもやりますとアピールしたんです。市側にもメリットがあるという提案が功を奏したのか。了承が得られました。文化祭の一週間前に茅ヶ崎駅前で、アカペラのストリートライブが実現できたんです。「健康的な食文化の発展」という市役所が取り組むテーマも、マイクパフォーマンスの中で伝えました。
結果的に文化祭の当日は、前年100人ぐらいだったアカペラのライブの観客が、300人以上に増えました。
音楽の道もいい、でもアカペラで食べていくのはほぼ不可能だ。観客を集めるためにイベントを実現した経験があったし、音楽関連の宣伝を担う仕事に就きたいと、広告業界を志望し就活をはじめ、同時に心理学の分野をテーマとした卒論の制作にも取りかかりました。
今後の人生を左右するターニングポイント
ところが大学4年の夏を過ぎた頃でした。もともと腰の具合が悪かった母親が体調を崩して、働けなくなってしまった。その頃僕は実家を離れ茅ヶ崎で、家賃5万円のアパートを借り一人暮らしをしていました。仕送りはありませんから、週5日は酒屋でアルバイト。土日は酒屋に加えてユニクロでも働いて、月に12〜13万円の収入がありました。奨学金は何かあったときのために、手をつけずに貯金をしていたので手元に150万円ほどあったので、そのお金を全部、実家に入れました。
後悔しましたね。僕が一人暮らしを楽しみ、アカペラに熱中している時に、母親は仕事を掛け持ちして、年間100万円以上の学費を払い続けてくれた。いわば自分のせいで母は体調を崩してしまったわけで…。奨学金はいずれ母に返そうと思っていましたが、150万円を家に入れても足りない状態で。
僕は4年の後期分の学費、70万円が払えない状態に陥ってしまった。母親には頼めない。手元にお金がない。「70万円貸してあげるから、大学を卒業しなよ」アルバイト先の酒屋のご主人から、そんな言葉を頂きました。「岸くん、協力するよ。お金は後から返してくれればいいんだから」卒論の担当だったゼミの先生にも、そう言って頂きました。
卒論も完成している。70万円借りて大卒の資格を得れば、就職の条件も違ってくる。自分の中での葛藤はありました。
僕は生活が苦しい中で、ずっと誰かの助けを借りて生きてきた。ここで大学を続ける道を選んだとしたら、また誰かの援助を受けなければならない。常に誰かの助けを借りて、この先もそれを繰り返していくのか。
僕はそれが嫌でした。常に誰かの助けを借りて生きるという連鎖を、ここで断ち切りたかった。僕は自分の足でしっかりと立ちたかったんです。そして一刻も早く母を助けてあげたかった。
「お金をお借りするのは申し訳ないです」酒屋のご主人も、卒論を提出したゼミの先生にも、お断りの言葉を告げました。
これからが新たなスタートだという気持ちで、僕は大学中退を決断したんです。
さて、どうしようか――
大学を中退して、半年ほどアルバイトは続けていたのですが。正社員になれば過酷な仕事でも半年働けば有休が出るし、ボーナスももらえる。退職金も出る。体調を崩して働けない母親を援助することを考えると、正社員になりたいという思いは募りました。
大学中退の道を選んだことは、将来的にもターニングポイントになるだろうという岸さん、だが決して後悔しない自信があるという。あえて困難に立ち向かい、自らの力で就職への道を切り開いていく、気力は溢れていた。
取材・文/根岸康雄( http://根岸康雄.yokohama )
この仕事はお客様の幸せの瞬間に立ち会える。
回り道はしたけど、こうして働けるのは幸せです。
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