例えば――
40万円に固執すれば、相手はアパートから出ない。間をとって50万円で交渉してみるが、裁判になればお金がかかる可能性もあるし時間もかかる。今、60万円を払って相手が出ていけば、すぐに売却できると。
依頼人に「あなたのためになりますよ、どうですか?」と、話を持っていくことが、民事の交渉ごとの一つの大きな要だと、まずはその点を認識しました。
「1000万円貸した。借用書もあるのに返さない。とんでもないヤツだ。金を取り立ててほしい」依頼人のそんな話を一方的に聞くと、相手は極悪非道な人間に思えますが、実際相手方に会い事情を聞いてみると、借金を返せないそれなりの理由があったりするんです。会社が思うように行かずに倒産し、家も借金の形に取られて、その上に子供と妻の両親が病気で、医療費がかさむ等々。
依頼人の権利の実現が弁護士の仕事ですが、相手方に歩み寄ることが、依頼人のためになる場合もあるわけで。
「1000万円取ろうとしたら、夜逃げされるかもしれません。300万円に減額すれば、相手方は毎月分割で返済できると言っています」案件によっては、こんな提案が落としどころになってきます。裁判で長引かせるのは嫌だし、一銭も取れないより幾らかでも回収したいと、そんな妥協案に同意していただける依頼人も多い。
しょせん、一方的な正義なんてないんだ……。
相手方にもいろんな事情があるんです。中にはかわいそうな人もいる。子どもの頃、“正義の味方”に憧れ、法曹界に進んだ僕としては、そんな現実に悩んだこともありました。気持ちをどう整理し、事件と向き合ったらいいのか。
「相手を思いやる気持ちは抱き続けろ。その上で依頼人の利益を引き出す方法があるはずだ。常にそれを探す姿勢がお前の正義だ」
研修所時代の民事弁護の教官に、相談した時のそんな言葉が印象に残っていますね。