コロナ禍を機に、一気に加速した「DX」だが、行きつく先にはどんな未来が待っているのか。一昨年の都知事選にも立候補した小説家、沢しおんが2040年のTOKYOを舞台にIT技術の行く末と、テクノロジーによる社会・政治の変容を描く。
※本連載は雑誌「DIME」で掲載しているDX小説です。
【これまでのあらすじ】
二十年のうちにデジタル化が浸透した二〇四〇年の東京。道州制導入を来年にひかえた日本では、廃藩置県以来一七〇年ぶりの大ムーブメントとばかりに、自治体の再編と州都の誕生に湧いていた。近々役割を終える「デジタル推進課」の葦原は、現実社会と量子ネットワークの両方から消えた住民データの調査に関わることになるが──。
デジタルツインを追え
草薙(くさなぎ)知事によるメタバースでの定例会見は無事に終了した。会見場にひしめいていた一般市民も徐々に出ていき、しばらく残っていたアバターも強制退出機能によって消えていった。
「特に混乱がなくてよかったですね」
薄型ゴーグルを外すと、眼前にデジタル推進課の部屋が広がって見え、葦原は安堵した。アクセス障害をきっかけに、住民データ消失のことまで質疑応答で出されるのではないかと、内心ヒヤヒヤしていたからだ。
「行政のメタバースに入れるのはマイナンバーカードで認証済みにしたアバターだけだからな。嫌味な質問をして目をつけられたり、狼藉を働いて本人バレしたりするのが嫌なんだろ」
「あれ、谷津(やづ)さんも入ってたんですか。てっきり作業を続けているもんだと思ってました」
「そりゃ作業してたってそのまま会場に行けるんだから、行くよ」
「意外に熱心なんですね」
「何だそれ。デジタル推進課が必要なくなるほどDXできたのは、知事のお陰なんだしさ。それなりに尊敬してるよ」
「DX……随分古い言葉を知ってるんだな」と大黒(おおぐろ)が言う。
「この課が立ち上がって大黒さんが配属された時、DXってブームでしたよね?」
「二十年前な。国にもデジタル庁ってのがあったんだよ。それは知ってるか」
「知ってます。行政のメタバースができたのもその頃ですよね」
「それから世界がリアルとメタバースの二重になるのが当然になった。感染症の流行もあって、ネットを介したコミュニケーションに頼ることが多くなったから、自然な流れだったんだろう。今じゃ揺り戻しでメタバースを全て潰せという過激な意見も出ているが」
「ああ、あれですね」
葦原は、大黒が最近ニュースを賑わせている『日本レガシー党』を指していることはすぐにわかったが、言葉にはしなかった。
「メタバースがけしからんから潰せって、古いよなぁ。移動した先がCGでできた世界ってだけなのに」
谷津が口を尖らせながら言った。
「そういう飲み込み方ができる人たちばかりじゃないってことですね。現実がメインだとしたら、メタバースにログインしている間は自分じゃない何者かとして分けたいんでしょう」
話しながら、葦原は二重生活という言葉に、もしやと感じることがあった。
「住民データが消えた人、リアルでの行方もわからなくなってますが、メタバースで活動を続けてる可能性、ありますかね」
「スマホやマイナンバーカードを置いて失踪したんだから、認証で躓くんじゃね?」と谷津が否定した。
「それなら、生体認証のみでログインするとか。民間のメタバースって、どれくらい緩いものなんですか。これは公務員用のPA(パーソナルアシスタント)がないと絶対ログインできないじゃないですか」と葦原は専用のゴーグルを指す。
「確かに、緩いのならいけるかもな。ただ、物を買う時は決済で二要素認証があるからそこで絶対に詰むね」
「メタバース内を移動して他のアバターと会話するくらいならやってる可能性はあるってことですね」
「本人がログインしなくても、デジタルツインの代理アバターが勝手に動き続けてたりして。あくまでその人のデジタルツインが出来上がってて、そいつに操作権限を渡してたら、って仮定の上でしか成り立たないけどな」
「デジタルツイン! それは思いつきませんでした」
葦原は目を丸くした。失踪した橘 広海(たちばな ひろみ)がもし、アバターの操作をデジタルツインのAIに任せてメタバースに解き放っていたら、「彼」に会えば本人の行き先がわかるかもしれない。
「つっても、さぁ」と谷津が首を横に振って「やめとけよ。深追いするの」と続けた。
考えを読まれてしまった葦原は「ですよね」と小さく頷いた。
「データが復元できるとわかっても、インフラ局と調整して、復元したデータが他に影響しないかテストして、そんで復元したらこっちの仕事は終わり。人捜しまでするもんじゃない」
谷津のアドバイスに加え、課長の大黒も窘めるように言葉を継いだ。
「データが復元できても、市区町村が個人情報を扱う際に元のとおり参照できるようになるというだけで、履歴の自動修復はAIがする。我々は不用意に閲覧すべきではないし、失踪者の足取りを追うのは警察に任せるべきだ」
「その人の妹さんだっけ。デジタルツインが手がかりになるかもしれない、って教えるくらいで十分でしょ。データ復元の可能性が見えたって連絡したらいいんじゃないの」
ほんの少し、谷津が助け舟を出した。
*
葦原はPAから橘 樹花(たちばな じゅか)に連絡を入れた。勤務中は端末からであっても庁内発信として処理され、相手の状況に合わせて、音声通話だけでなく、ビデオ通話、文字メッセージ、AI同士の無人連絡が選択される。
「ちょうどよかった! 今、授業終わったところだよ」
映像は近くのデスクにあるモニターに転送され、画面いっぱいに橘の顔が表示された。葦原はさっき谷津に言われたとおり、データ復元が見込めることを伝えると、「本題」に入った。
「お兄さんがよくログインしてたメタバース、わかりますか。あるいはデジタルツインもあれば手がかりになるかもしれない」
「デジタルツインって使ったことないんだけど、兄のボットってこと?」
そう言われて、葦原は橘が未成年であることを思い出した。AIによってユーザーのクローンとして作動するデジタルツインを作成するには、多くの個人情報を端末に預け、リアルやネットを問わず行動をトレースしてのデータ化が必要だ。これは未成年者には許可されていない。かたや、ゲームなどで活躍する自律行動のボットは若年層にもポピュラーな存在だ。
「そうですね。お兄さんご本人をAIに移したようなボットです」
「……わかんない。でも何か、あー!」
「何か思い出しましたか」
「前に集会に出るのが面倒だから代わりにボットに行かせてるみたいなこと言ってたかも。そういうので合ってる?」
「あり得ます。それがまだメタバースの中にいればと思いまして。警察に伝えてもらったほうが早いかもしれません」
「警察……。あの刑事さんかぁ。そうだ、一緒に警察に行ってもらっていい? 前にちょっと立ち話したじゃん。おじいちゃん刑事もパソコン刑事も、ちょっと苦手でさ」
「さすがにそれは職務の範囲を超えているので、できかねます」
「あの時のお姉さんは?」
「彼女も同じです」
「あ、同じ職場の人なんだ。職場恋愛?」
「違います。そういうのではないです」
「仕事終わった後とか、休みの日とか、ダメ? うまく説明できる自信ないし。兄がメタバースで何をしてたか教えろ、ってきっと激詰めされるし。そんなの知らないって」
「警察からこちらに照会があれば、必要な範囲で答えることは可能です」
「それってあたしが最初に刑事に会って話さないといけないってことじゃん」
「そうなります」
「今日の授業終わったし、そっち行くから。こないだの窓口でいいの?」
「あ、いえ。私が所属しているデジタル推進課は分庁舎(はなれ)にあって、先日お越しいただいた建物からは離れているんです」
「意味わかんない。入り口で案内の人に聞けばいいよね? じゃあ、行くから」
一方的に通話を切られてしまい、葦原は慌てて再接続を試みたが、文字以外のメッセージは受け付けていないという表示に切り替わってしまう。
仕方なく葦原は、そのままPAで文書課の内線を選択し、櫛田へ繋いだ。
「何となく連絡が来るんじゃないかって気がしたのよね」という櫛田の笑顔が、モニターいっぱいに表示された。
葦原は、大黒や谷津の視線が気になって、モニター表示をオフにした。
(続く)
※この物語およびこの解説はフィクションです。
【用語・設定解説】
デジタルツイン:ユーザーのリアル世界での行動を端末を通じて蓄積するほか、ネット上での活動履歴と合わせ、ユーザーの双子(=ツイン)と呼べる存在をデジタル世界に再現する技術やその概念のこと。ディープラーニングなどのAIと組み合わせることで、ユーザー本人の思考をリアルタイムにシミュレートし、アウトプットする。この物語の舞台となっている2040年では、例えばメタバースでの会議にデジタルツインを代理アバターとして出席させ、その上で本人同様であると信頼できる発言や判断が可能になっている想定である。
沢しおん(Sion Sawa)
本名:澤 紫臣 作家、IT関連企業役員。現在は自治体でDX戦略の顧問も務めている。2020年東京都知事選にて9位(2万738票)で落選。
※本記事は、雑誌「DIME」で連載中の小説「TOKYO 2040」を転載したものです。