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「若手社員の本音」シリーズと平行する形ではじまったこの企画では、中間管理職本人の本音を紹介する。上司と部下に挟まれ、孤立しがちな中間管理職は何を考え、何に悩み、どんな術を講じているのだろうか。
シリーズ第6回はミズノ株式会社 コンペティションスポーツ事業部 第2事業企画販促部 スイム・体操・武道課 課長 藤田真之介さん(44)。部署は一つの競技を事業目線で捉え、事業企画と販売促進を担う。担当するのは3つの競技だが、特に水泳はお金を投資し池江璃花子等、トップ選手と契約を結んでいる。ミズノの水泳事業をどう展開していくか、決定していく部署である。
藤田さんの部下は17名。彼自身、学生時代はアメフトの選手だったが、部下は元アスリートが多い。特に販促・プロモーション担当はトップ選手の意見を吸い上げ、新商品に落とし込む業務だが、元アスリートだけに選手に入れ込みすぎるきらいがある。“熱さ”については、部下に劣らない自負を密かに抱く藤田課長。契約選手をマーケティングに活かし、売上げの数字に繋げる部署の業務と、“熱き想い”を自分なりに工夫し部下に伝えている。
年間数万枚売れるビックの提案
30代前半で課長補佐、課長代理、30代後半から課長職と、順調に出世した藤田には“武勇伝”も幾つかある。例えば20代後半、営業部の東京法人営業部時代、「オレがびっくりすることを提案してみろ」と、当時の上司言われ一計を巡らせた。
全国組織の大手スポーツクラブのスイミングスクールでは、子供たちに販売する、何万枚という水着を別の業者が独占していた。
スイミングスクールで水着を売りたい。なんとかならんか……。子供たちは平泳ぎ、バタフライ、背泳ぎ、最後にクロールを習う。「じゃあ、クロールを泳げるようになった生徒には、選手が着用しているようなファッショナブルでかっこいい水着を着ていい権利を与えませんか」藤田はそんな話をスポーツクラブに持ち込んだ。
もちろん水着が売れればスポーツクラブ側の利益にもなる。着用を義務付けると保護者からクレームが出る。購入するかどうかは生徒の自由にした。まず数人の生徒がスペシャルな水着を身につけた。「何、それ?かっこええやん」となって、水着は爆発的に売れた。年間何万枚も売れ、10年以上経った今も売れ続けている。
「お前の自慢話はわかった。お前はできるかもしれん。でもオレは評価しない」そう上司に言われたのは、課長補佐になる前の30才を過ぎた頃だった。
「お前と同じことをそばにいる人間ができて、初めてお前の評価につながるんや」
上司のその言葉は、組織に属するサラリーマンの藤田にとって一つの節目となった。
“見ている人は必ずいるよ”
手柄を取ったら、“オレがオレが”と、前に出て目立ちたい気持ちは誰でもあるが、一つそれを抑えてみよう。うまくいきそうな案件を人に渡し、それが成功したら喜ぶ。自らマイルドコントロールをするように、そんな考え方を習慣化するように意識した。
すると、いつしかライバルの悪口を言わなくなった自分に気づく。「池江璃花子選手との契約が取れたのは、彼女が頑張ったからですよ」とか、チームの仲間を褒める言葉が、自然と多くなっていたと彼は言う。
「そんなお前のことを、見ている人は必ずいるよ」という当時の上司の言葉も、印象に残っている。
直属の上司は第2事業企画販促部全般を束ねる部長が、この上司も学生時代はラガーマンだった。
「こちらがこうしたいと提案したことに、上司のダメが出たことは記憶にない」と藤田は言うが、それはお金の面も含め、社風のようなものらしい。今の上司ではないが、彼が課長に昇進した2013年、競技水着のシェアは芳しくなかった。当時、ミズノスイミングチームの選手はすべて社員だった。背泳ぎのロンドン五輪メダリストの寺川綾の引退も決まっていた。「大学生で強い選手がおるやないか」「しかし課長、大学生は社員にできませんよ」「ほな契約選手というのはどないや」
そらええ考えやないかと、部長が彼の部署の提案に即答したかどうか定かでない。
だが、年度内での新しいことへのトライは難しいにもかかわらず、その年に萩野公介や当時の200m平泳ぎ世界記録保持者の山口観弘等、一気に8名のトップスイマーと契約を交わすことに成功した。その後、初の高校生選手、さらに池江璃花子との契約は中学生で初だった。今では契約をしたトップ選手のサポートと、マーケティングに生かす手法が定着している。