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動物園の生き物はどんな飼い方をしているのだろうか。家で飼えない動物のことを知りたい。日々、動物に接する動物園の飼育員さんに、じっくりとお話を聞くこの連載。動物園の動物の逸話を教えてもらおうというわけである。
今年開園61周年を迎えた東京都日野市の多摩動物公園。上野動物園の約4倍という広さは自然公園である。極力、柵を排した展示は、野生に近い動物を観察することができる。
シリーズ13回はアムールトラである。ネコ科に属し、主な生息域はロシアと中国東北部の国境を流れるアムール川やウスリー川周辺のタイガだ。オスの個体は体長およそ2.5m体重300㎏を超える。肉食で動物園での寿命は約20年。現在多摩動物園では4頭のアムールトラを飼育している。
モグラの回でも登場した飼育員の熊谷岳さん。国内のアムールトラの繁殖検討委員メンバーでもある熊谷さんは、国内で飼育されていた半数以上、約30頭のアムールトラ血統図を作成、血統がかなり偏っていることを証明した。新しい血統を海外から入れたい。それが実現しドイツの動物園から、オスのアルチョムが多摩動物公園に入園したのは、2017年1月。ところがこのアルチョムが飼育員も呆れるほどの何もできないトラで、外に出そうとしても怖がり部屋の移動もできない。
問題児アルチョム
動物には「社会化期」というのがあって、生後数週間、どのような環境で育ったかが、その後に大きく関係してきます。入園当時1才8ヶ月だったアルチョムは、依存心が強く自立心が育っていない。あそこまで何もできないトラにしたのは人間でしょう。向こうの動物園では、人に慣らす飼い方をしてきたと思わざるを得ません。アルチョムのあの性格をある程度、鍛え直したほうがいいと。人に甘えてくるような感じだったので、突き放すように飼育をしました。
アルチョムのペアリング候補は、シズカの子のアイ。当時7才でした。トラは4〜5才で最初の出産をしておかないと、それ以降は着床しにくくなる。アルチョムに経験を積ませて、メスを受け入れられるトラにしていこうと、入園の翌年の18年2月に、試しに12才のシズカと一緒にしてみたんです。
1才で親と離れたシズカは、飼育員と甘ったれた関係にならないよう細心の注意を払い、トラの狩猟本能を刺激するような育て方をしましたから。人と動物の距離感はしっかりしていて、なおかつ僕はシズカとは信頼関係を感じています。シズカはいいメスで、ヘタレ込むアルチョムに、積極的にアプローチをして交尾に誘ってくれました。
初めて一緒にした昨年2月は、しっかりとペアリングをしたんです。でもシズカは12才です。アイを産んでから8年間も出産を経験していません。ですから、シズカ妊娠することはちょっと考えづらかった。
トラは発情すると、部屋や展示場の壁に体をこすりつけたり、部屋の床にゴロンと横になってお腹を見せたり。展示場にそこかしこにオシッコをかけたり、力強い声で吠えたりするのですが、本命のアイには強い発情行動が見られなかったんです。
シズカがうまくエスコート
シズカと一緒にした後に、本命のアイとアルチョムを一緒にしました。ところが普段はヘタレ込んでいるアルチョムが、メスのアイに対しては唸り声を上げたり、高圧的な態度をとるんですよ。アルチョムのそんな態度も人馴れして育ち、性格がねじ曲がっているからなんでしょうけど。アイも高圧的な態度に怒ったんだと思う。キレた様子で、アルチョムに向かって唸り声を上げていた。
どうやら、アルチョムとアイのペアリングは厳しい。新しい若いメスのトラを受け入れられるようにしょうと思っていたんです。ところが昨年の秋に、シズカに強い発情が来た。そこで久しぶりにアルチョムとペアリングさせてみたんです。アルチョムは未だに屋外の広い方の展示場を怖がります。広い展示場で、シズカがオドオドしているアルチョムをうまく誘って。
初産から8年のブランクがあるし、年齢的にもシズカに子供ができることはないと、僕は思っていました。後で検査が早かったと分かったのですが、交尾の1ヶ月後に糞からホルモンの分析をした時は、妊娠の兆候はなかった。
「何かこの頃、シズカはふっくらとしてきたんじゃない?」そんな常連客の言葉にも、「そんなことないですよ」と、応えていたんです。
ところが今年の1月には、さすがに無視できないほど、体つきがふっくらしてきて。屋外に出すとすぐに茂みの後ろに横たわるようになって。それでも僕は偽妊娠ということもあると思っていて。生まれてくるまで疑っていたんですよ。
準備だけはしておかないとまずい。トラの妊娠期間は約102〜108日と決まっています。秋の交尾から逆算して、出産の範囲に入る2日ほど前に、獣舎の奥の部屋にワラを敷いて、出産用の部屋を用意して、シズカはブラインドをしなくても大丈夫だろうと。これまでにアムールトラの出産は4回経験しましたが、いずれも朝、獣舎に行くと生まれているというパターンでした。