人工保育はわがまま個体
バレンタインと一緒に横浜ズーラシアから来たメスのチェリア(4才)は、育児ができなかったバレンタインの子で、人工保育で2年間育った経過があります。チェリアも将来的なことを考え、子育てを学ぶ目的で多摩動物公園に来ましたが、人がミルクを与えた人工保育の個体は、我がままになりがちです。
エサでも自分が要求したものがすぐに手に入らないと、癇癪を起こしてギャーギャー鳴きわめく。また、チェリアの母親代わりのジュリーがそれを戒めればいいのですが、これが過保護で。「訴えてるじゃないの。遅いよ!早くあげなさいよ!」という感じで、僕ら飼育員にツバを吐いてくるんですよ。
チェリアは当分、多摩で飼育しますから、「甘やかしすぎないようにしよう」と、僕ら飼育員は話し合って。チェリア鳴きわめいても少し待たせるようにしています。
ボルネオ(34才)と高齢のキュー(推定・50才)は、頰が膨張したようなフランジという強さの証を持つオスのオランウータンです。リキやロキの父親のボルネオは、見かけによらず引きこもり気味の個体で。天気のいい日は屋外の放飼場に出しますが、30分も経つと、「帰りたいよ」とばかり、室内へ戻る通路の出入り口に張り付き、格子をガタガタ揺らします。
「まだ30分しか経ってないよ。お客さんのために頑張ろうよ」と声をかけますが、イライラすると持っている布を引き裂いたりするので、室内の展示場に移します。室内の展示場でもボルネオは壁に張り付くように、茶色い背中を向けていますから、お客さんから「セミ!」とか、言われていて。
その点、キューは愛想がある。室内展示場ではお客さんに近づき、顔見知りの常連さんにはガラス越しにキスをしたり。ところがこのキューにも意外な面があって。キューはメスに対しては乱暴者なんです。メスを木から引きずり下ろして交尾したりする。だからボルネオの方が年齢も若いし、メスには人気があります。
ジプシーとの突然の別れ
最後にジプシーのことを話しましょう。ボルネオ島で親とはぐれ保護されたメスのジプシーは、58年の開園当時から多摩動物公園いる人気者のオランウータンでした。優しいオランウータンで以前は隣にウサギを置いて飼ったことがあるんですが、ジプシーはウサギにエサをあげていたという。
お客さんが好きで、話しかけるとこちらのことがわかったような表情をする。オランウータンが手に持つ布は、夏の日よけと冬の防寒に使いますが、ジプシーはカラフルな色の布が好きでした。ジプシーは絵を描いたり、ハーモニカを吹いたりしていた時期もあって。お客さんからの寄贈写真は数え切れません。
僕がオランウータンを担当して、半年ほどした頃でした。推定62才と高齢のジプシーは歯が悪く、食べづらそうでしたけど、前の日まで元気だった。歯の状態を確認するために麻酔をかけたのですが、そのまま目を開くことはなかったのです。突然のお別れでした。
悲しみも喜びも、ゆっくりと受け止めていく――。僕はどちらかというとマイペースですが、オランウータンの飼育を通して、以前に増して、何に対してもゆっくりと接する姿勢が、鍛えられたのかなという気がしています。
取材・文/根岸康雄
http://根岸康雄.yokohama