■あなたの知らない若手社員のホンネ~ 有限会社 原田左官工業所/江口克利さん(29才、入社3年目)~
中間管理職は部内の円滑な人間関係のために、20代の社員は同世代がどんな仕事に奮闘しているか、興味があるところだろう。「若手社員のホンネ」は、そこにスポットを当てる企画だ。これまでバライティーに富んだ職種に奮闘する若手社員を紹介したが、今回は壁をはじめ天井、床等を仕上げる左官業の携わる若手社員を紹介する。
シリーズ46回、有限会社 原田左官工業所 工事管理部 江口克利さん(29・入社3年目)。左官は桃山時代から続く職業である。左官職人は消石灰、砂、海藻のり等を混合し水で練った、日本特有の塗壁材の漆喰をコテで何度も塗り壁や天井、床等を仕上げた。現在ではモルタルやコンクリート、プラスター等々、塗壁材も様々なものがある。
原田左官工業所には見習いを含め、70名以上の職人の他に、「番頭」と呼ばれるスタッフがいる。番頭は発注主の施主や設計事務所、現場の監督と話し合い、工事金額の見積りを含め、施工の段取りを整える。江口さんはそんな番頭を担っている。法学部を卒業した彼は、なぜ左官店の番頭になったのだろうか。
現場の力仕事でできた人間関係
新潟出身ですが、学生時代は新聞奨学金制度を使って、新聞配達をしながら大学の法学部に通いました。警察官になりたかったんですけどね。必修の単位をうっかり取り損ね、卒業が半年遅れてしまいまして。苦学生としては、次の就活の時期までアルバイトでしのがなければならない。そこで人材派遣の会社に登録をして、引越し屋とか工事現場とかの日雇い仕事をしたんです。
そのうち、就活が面倒になり誘われるままにその派遣会社の正社員になりました。現場に派遣する人の手配をしたり、人手が足りない時は僕が現場に出て仕事をしました。現場では原田左官の仕事が多かった。塗壁材にする砂やセメントやモルタルの袋を、台車で運ぶ力仕事でしたが、原田左官の職人の人たちと顔見知りになったんです。
派遣会社は現場にも出て働いているのに、給料が上がらない。給料を上げて欲しいと社長に言っても相手にしてくれない。頭にきて2年ほどでその会社を辞め、電気工事の会社に転職して。1年も経たない頃に、原田左官の取締役から電話をもらったんです。
「うちに来ないか」と。転職しても現場で知り合った原田左官の取締役とは、度々飲みに連れて行ってもらう関係でしたから。悩みましたが、今より給料も上げてくれるというし、よし転職をするかと。
左官屋に転職するといっても、左官職人になるわけではなくて。「営業に欠員ができたから」と、番頭としての誘いでした。僕みたいに年齢も20代後半で、いろいろと社会を知って性格もひねくれている人間は、先輩職人の技術指導が素直に体に入ってきませんよ。
うちの見習いは先輩職人の下に付き、マンツーマンで技術の研修を行います。女性の見習いには、ベテランの女性職人が付きます。性格が合わず、親方が弟子の面倒を見られないというケースもありますが、師匠と呼べる人の下で修業すれば、師匠は弟子に熱心に技術指導をしますから技術面の習得が早い。また、高校出の若い子は師匠に会社のルールと、社会人としてのマナーを教え込まれます。