■「依存の愛」でとどまるべきではない
加藤は、この頃の思い出が、少年院での少年更生に生きている――いや、なくてはならない経験だった、と話す。
「悪いヤツにも、神経が繊細な部分はあるんですよ。誰か殴っておいて『アイツ、大けがしてないよな』なんて心配になってみたり(笑)。少年院の子たちも『俺だって悪いところばかりじゃない』ってことを薄々知っています」
そこに、くさびを打ち込む場所がある。
「だからボクは、少年と関わりながら『キミのこういうとこ、いいよな』と話すんです。みんな、超喜びますよ。お世辞じゃダメなんです。子どももわかりますから」
少年たちが「この人は、裏切れない」「自分の理解者は、がっかりさせられない」と再犯を踏みとどまることは想像がつく。だが、加藤秀視のメソッドは、ここからだ。彼は「人に愛されて、喜んでいてはその後の成長がない」と話す。
「それは『依存の愛』なんです。いつかはなくなってしまう。少年たちを例に挙げれば、ボクから愛してもらっていないと生きていけない状態ですが、彼らにはいつか、独り立ちし、巣立っていってほしい。だから、この状態で、終わってはいけない。最も大切なことは、自分で自分を愛することなんです」
加藤は現在、少年院でのボランティアだけでなく、アスリート、経営者、個人のメンタルコーチや企業の人材育成にも携わっている(それが彼の生計を支えている)。加藤はその中で、ビジネスパーソンにも、いわば『他人に愛されたい症候群』のようなものに陥っている人が多いという。
まず、夢を聞くとわかる。子どもを例にとれば『プロ野球選手になりたい!』といった夢を持つ子は、その多くが、プロ野球選手が社会的に尊敬される存在だから、社会に何となく、そう思わされているだけだ。他人に与えられたモチベーションは、人は、どこかでウソであることを知っている。だから、本気になれない。薄々「本気の人間にかなわない」と知っているのだ。
本来、夢とは様々、遊んだり、体験する中、文字通り「夢中になった」経験をもとに育まれるものでしかない。カッコイイものを見つけて「これになりたい」などというのはウソで、何かやってみて「あ、これ、意外と面白いな」とか「俺、得意かも」と思えるものを見つけ、誰に頼まれたわけでなく、バカみたいに磨いた結果、見えてくるものだ。
「社会人でも同じです。例えば営業研修などで、スキルばかり教えてもらっても、その仕事が好きじゃない。これで結果が出るわけがありません。原因は、ただ一つです」