「おめでとう」それは始まりの言葉
「友岡さん、来年もう一度受けてほしい。それまでにこちら側の受け入れ態勢を整えるから」という内容の話が、特別救助隊に関係する部署の方からあり、「頑張ります」と応えました。ですが……。
モチベーションのコントロールが大変でした。「好きなことをやればいい」と、言ってくれた両親ですが、兵庫県西宮市の実家に帰省した時、「帰ってこないかなー」とか、ポロっとつぶやかれるとさすがに。横浜での経験をスライドさせ、地元の消防署への勤務は可能ですが、それには年齢制限があります。
一方では試験をクリアし、横浜市消防局初の女性の特別救助隊員になれることは、すごいことだと。いずれにしろ試験を受けるのはこれが最後と心に決め、1年間トレーニングの量も増やし自分を鍛え直しました。
「おめでとう」と、訓練センターの教官から連絡を受け取ったのは昨年の10月でした。特別救助隊員の研修を1ヶ月間受けまして、今年の4月から、特別救助隊の隊員としてオレンジ色のユニフォームを身に付け、勤務しています。
憧れの仕事に就いたのですが、特別救助隊仕事は想像以上に大変です。結索といって42種類のロープの結び方を、30秒以内にできるよう覚える。日々の訓練では両手でロープを登ったり、大人の男性を抱え高所から救出したり。体力的に厳しいですが簡単には諦めず、訓練では何度もトライします。
交差点でのトラック同士の事故で出動した時は、運転席に挟まれた運転手を救出するため、救助隊が救助機材を使っている間に、救急車で駆け付けた救命士が、救命のための点滴を素早くセットして。こんな現場に立ち会うことがこれからあります。救急隊が現場にいなくても、救命士の資格を持つ私が適切に素早く救命の処置を取れるように、もっと勉強しなくてはいけない。
今後、国際的な救助部隊に、参加することになるかもしれませんので英語の勉強も必要でしょう。経験を積んで将来的には、女性初の女性特別救助隊隊長も視野に入れたい。
これから険しい道が待ち受けています。
えっ、特別救助隊員になったから、お給料も特別になったのかって。一般の消防署員と同じ、特別な手当は一切、ありませんよ(笑)
取材・文/根岸康雄
http://根岸康雄.yokohama