■「気合だよ、齋藤さん」「コラッ!」
キリンは温厚な動物で、メス同士がけんかをすることはありません。私が他に担当するオリックスやシマウマは、弱い個体を追い回したり、エサを奪ったりしますが、キリンはそういうことをしない。多摩動物公園ではキリンと飼育員の間での事故は、これまで一度もないと聞いていますが、なにせキリンは大きい。4月に生まれたジャックで、もう2m以上ありますから、2〜3才のキリンは4m近い。
中でも2才ほどのヤンチャ盛りのユリネというメスが私に寄ってきた。「相手にしないで、逃げてね」と、先輩に言われていますから、無視して離れてもユリネは追っかけてくるんですよ。一度なんかせっかく集めた一輪車のウンチを足でひっくり返えされて。
「先輩、何とかしてください!」最初の頃、ユリネが近づいてきてどうしようもない時は、助け舟をお願いしていました。
室内の飼育舎から運動場に出す時、ユリネがもたもたしていると「コラッ!」班長が大声を出せば、ヒェ〜って感じでユリネは言うことを聞く。
「気合いだよ、斎藤さん、もっと気合いを入れて」と、班長にアドバイスされまして。運動場での作業中に近づいてきたユリネに、気合を込めて「コラッ!」と怒って、怖い顔をしたのですが、ユリネは全然逃げる気配がなくて。ところがある日のことです。キリン舎の運動場で作業をしていると、またユリネが近づいてきた。
また来たよ……。私は憂鬱な気持ちになっていたんです。すると突然、アミというメスのキリンがドンと、後ろからユリネに体当たりするように押してくれて。ユリネはハッと気づいたような仕草をして逃げていった。
「アミちゃん、ありがとうね」声をかけたのですが、アミはこちらを見もせずに、私を見張るように静かに立っているだけでした。ユリネが私に寄ってこなくなったのは、そのことがあってからです。
アミは幼いキリンの面倒見が良く、時には乳母のように、そばにいてくれると先輩から聞きました。もしかしたらキリンとは比べ物にならない、小さい私のことを幼い子供と思って、守ってくれたのかもしれません。
普段は群れから一歩引いて、ポツンといるようなアミは当時、9才でした。それまで子供を授かったことがなかったアミですが、11才になった時に、彼女はついに子供を産むことになったのです。
なぜ、アミは長年、子供を授からなかったのか。なぜ妊娠したのか。齋藤さんを困らせたユリネはどう成長していくのか。そして長老キリンに起こった悲しい出来事とはーー。
動物園の飼育員が感じた死生観等は後編で。
2018年4月19日に生まれたオスの「ジャック」とお母さんの「アオイ」。
多摩動物公園では182頭目の繁殖です。写真は生後1ヶ月程度のものですが、ジャックの頭の高さは2m近くあります。生後1ヶ月ほどは3時間ごとに、お乳を飲みに母親の元に行きます。エサを食べるようになるのは、誕生から3週間ほどして。もちろん大人と同じエサで、離乳食などありません。シャックはまだ、夜はお母さんのアオイと一緒の室内キリン舎で過ごしています。
取材・文/根岸康雄
http://根岸康雄.yokohama