◆祇王寺
「平家物語」の悲恋の寺として知られる祇王寺は、平清盛の寵愛を受けた白拍子・祇王が清盛の心変わりにより都を追われ、出家し入寺した尼寺。祇王寺は明治初年に廃寺になったが、残された墓と仏像は大覚寺に保管され、明治28年に再建された。木々や竹林に囲まれた苔庭とひっそりと建つ草庵は、静謐な空気が流れて心が落ち着く。
仏間には大日如来、清盛公、祇王、妹の祇女、母の刀自、仏御前の木像が安置されている。祗王、祇女の像は鎌倉末期の作。仏御前とは清盛が心変わりした原因となった女性だが、仏御前も世の無常を知り清盛との縁を切って、祇王の後を追い祇王寺に入ったという。境内には祇王、祇女、刀自の親子の墓もある。
◆二尊院
二尊院には室町時代の建築物である総門をくぐると、まっすぐに伸びた参道があり、「紅葉の馬場」と呼ばれるほど紅葉の名所として知られている。参道にはもみじと桜が交互に植えられていて、春夏は桜と青もみじ、秋は紅葉の見事なトンネルが出現する。
慈覚大師が承和年間(834~847年)に開山したといわれ、京都御所の紫宸殿を模した本殿には、釈迦如来と阿弥陀如来の二尊を祀っている。本堂に続く天皇の使いのみが通れた「勅使門」は唐破風の屋根が特徴。現在は参拝者ならだれでも通ることができるので、古に想いを馳せながらぜひ。
◆落柿舎
落柿舎は、松尾芭蕉の一番弟子であった元禄時代の俳人・向井去来の草庵で、芭蕉も三度訪れたといわれている。現在の建物は1770年に再建されたもの。落柿舎の名の由来は、都の商人に売るはずだった庭の柿の木40本になった実が、嵐により一晩のうちにほとんど落ちてしまった出来事から名付けたという。落柿舎の入口には在庵を意味する蓑と笠がかけてある。
境内には去来、芭蕉、虚子などの俳句が彫られた碑が並んでおり、碑めぐりをする年配の女性も見られた。落柿舎境内にある次庵は句会に利用(予約制)できる。草庵の一画には、短冊と鉛筆が置いてあり「一句ひねって投句して下さい」の張り紙と投句箱が。毎年10月に行われる去来祭で、投句の中から最優秀作品に「落柿舎全国投句大賞」を授与される。御朱印は書置きが数種あり、去来の句「青柳のたゝいてあそぶ戸びらかな」をいただいた。
【AJの読み】渡月橋や天龍寺近辺はラッシュ並みの混雑
嵯峨野・嵐山を訪れたのは中学校の修学旅行以来36年ぶり。渡月橋や天龍寺近辺は平日にもかかわらず、観光客であふれており半数以上が外国人で、天龍寺、野宮神社の「竹林の小径」は、ラッシュ時のターミナル駅のような混雑ぶりだった。天龍寺の塔頭寺院である宝厳院に行くなら、午前の早い時間をおすすめ。常寂光寺から二尊院、さらに奥嵯峨野まで来ると混雑は減ってきて、祇王寺や化野念仏寺はゆっくりと散策できた。
宝厳院~常寂光寺~平野屋~化野念仏寺~祇王寺~二尊院~落柿舎のルートで、徒歩で周ると所要時間は5~6時間。効率よく周遊するならレンタサイクルもおすすめだ。
文/阿部 純子
■連載/阿部純子のトレンド探検隊