■都営新宿線開業とともに量産車が登場
10-000形は、長らく“都営新宿線の顔”に君臨(提供:東京都交通局)。
都営三田線で長期にわたる試験の末、1978年に量産車が登場。前面デザイン変更のほか、京王帝都電鉄(現・京王電鉄)との相互直通運転を想定し、6両車とした。また、試作車で試験搭載されたATO、駅名表示器、冷房装置は、実用化に至らず撤去。量産車化改造後、都営新宿線に移った。
同年12月21日、岩本町―東大島間が開業。2年後の1980年2月16日、新宿―岩本町間延伸とともに、京王との相互直通運転がスタートした。当時、都営車両は6両車、京王車両は8両車で、のちに10両車が登場。運転区間が異なっていたとはいえ、双方の車両がまじわる新宿―岩本町間は、最大4両の差が生じていたほか、都営新宿線の延伸も相まって、利用客が増加してゆく。
■試作車で実用化には至らなかったものが、量産途中で結実
東京都交通局は、1988年の増備車から車両の冷房化、同年10月から1989年1月まで全編成の8両車化をそれぞれ実施。そして、同年3月19日に都営地下鉄が初めて千葉県に足を踏み入れ、本八幡まで延び全通した。
その後、既存車の冷房改造、増備車ではLED式の駅名表示器などが採用され、試作車では“夢”で終わったものが量産途中で花開く。参考までにATOは、都営大江戸線、都営三田線で実用化にこぎつけた。
1997年12月、10-000形が5年ぶりに2編成投入され、26年間にわたる増備にピリオドを打った。最終の10-270・280編成は、軽量ステンレス車体のすっきりしたボディー、前面デザイン、チョッパ制御などの変更が行なわれた。
同年12 月24 日のダイヤ改正で、都営新宿線の急行が運転を開始。10-000形は2016年9 月11 日まで、その運用にも就いた(同年9月12日以降の都営新宿線急行は、10両車に統一)。