■ファジーこそ、人間の長所
――20年、30年先がユートピアになるかディストピアになるかの前に、AIの浸透で5年先の社会は、様変わりしてしまうだろうという先生の持論です。そんな近未来を見据え、私たちが今やるべきことは何でしょうか。
「AIを使いこなせることはもちろんですが、その上でゼネラリストになることですね」
――ゼネラリスト?
「特に若い人に言いたいのですが、これからの時代は専門書に書いてあることは、すぐにプログラムできます。IBMのワトソンという機械は、毎日何千本という世界中の論文を読んでいます。専門家の仕事の多くは今後、AIに代替されるでしょう。これからは高度な専門知識はAIを使えばいい。人間の能力が生きるのは、ある専門とある専門をつなぎ合わせて何をするかで。いろんな専門に精通している人が活躍できるはずです」
――約40年間、AIを研究されている先生は、機械にできない人間ならではの良さも、熟知されていることと察しています。
「(ニヤッとして)ええ」
――AIより人間のほうが、決定的に優れているところをあげるとすれば何でしょうか?
「人間はね、適当にやるのがうまい。AIのプログラムは、データががっちりそろっていないとできません。でも人間はデータが少なくても適当にやってしまう。私たちの間で言っていたのは、お掃除ロボットを作ったら四角い部屋を丸く掃かせる、そのほうが賢いと。
ほとんどのケースで言えることですが、9割まで仕事を終わらせるのに1時間かかったとして、さらに完璧に仕上げるために、1割の仕事をするのにはもう1時間かかる。現実社会では9割で止めておいたほうがいいことが、いっぱいあるんです。そういうことをちゃんと考えられるほうが、頭はいい。臨機応変さはAIより人間のほうが圧倒的に優れています」
適当さ、曖昧さ、臨機応変さ、そんなファジーな部分こそ、AIにない人間の優れた点だと、指摘する中島秀之教授。実はファジーな部分を備えた、より優秀なAI開発へのヒントが、日本語のAIの開発に秘められていると、話はヒーアップしていく。
第四回に続く
取材・文/根岸康雄