◎『この素材が活きたいように活かしてやるんだ』
佐藤は大学の法学部に進んだ。ショッキングなことがあって司法試験を諦めた。
「判決は、ほとんど、判例を元に決まります。過去に起きていることを元に、今起きていることを裁くことが多いのです。もちろん、法を学ぶことを悪く言うわけではありません。でも、私は今までにない新しいことを始めたかった」
メーカーに行って、何かを創り出そう! とキリンビールへ入社した。営業として「ゴリラ」と呼ばれるまで活躍したが、また、ショッキングなきっかけで彼はマーケターを志した。1980年代終盤、業界の『ドライ戦争』が勃発した。高度経済成長期は、ビールのつまみは漬物などあっさりしたものが多かった。だが日本が豊かになると、つまみも脂っぽくなってきた。それまで、ビールは味で勝負していた。だがこれからはキレや喉ごしが売りのビールが売れるのではないか? と設計された商品だった。
「この様子を見て、マーケターになろうと思った。営業力に加えマーケティングの力もあったほうが、もっとモノは売れるんだな、と思ったんです」
異動は1990年4月1日。伝説のマーケターは、最初、ズブの素人だった。
「笑ってしまいますよ、当時は『このプランのクライテリア(成否の判定基準)はどこなの?』聞かれても意味がわからない。まずは、マーケティング部の先輩に役立つ本はないか聞いて、用語集やケーススタディ集を読みまくるところから始めたんです(笑)」
ところが、いい商品が出せない。1年も経つと、佐藤はさすがに参ってしまった。あの「ゴリラ」と呼ばれた強い営業が、悩んでいる――佐藤はこの時期、会社に行くことが楽しみではなくなっていたと言う。そんな姿を見かねた上司が「きっかけをつかめれば」といい話をくれた。「本場のビール造りを学んでおいで」とドイツの様々なメーカーを訪ねる機会をくれたのだ。期間は1週間。
そこで彼は、生涯忘れ得ぬ言葉を聞いた。
「私が訪ねた中には、ブラウマイスター……ビール造りの職人が一人で経営している会社もありました。それまで私がキリンビールで見ていたのは、清潔で、自動化された、大規模な工場です。だから、訪ねて驚きました。普通の家のような建物にビリヤードをやるような台があって『これが麦芽を発酵させる台だ』と言うんです」
発酵は、酵母が糖分を分解してアルコールと二酸化炭素にする、ビール造りの肝の部分だ。空気中の雑菌が触れていいわけがない。
「でも、マイスター(職人)は『そういう酵母でつくっているから大丈夫だよ』と言うんです。カルチャーショックだらけでした。ここの工程は、すべてが目分量だったんです」
麦汁を飲んで糖分が多ければ、それでどのビールにするかを決めていた。タンクからは、麦汁が発酵して泡が弾ける、微かな『プチ、プチ』という音が聞こえる。これを聞いて、発酵の期間を伸ばしも縮めもしていた。
佐藤は、難しい質問をした。
「マイスター、あなたにとって一番旨いビールは、どうやって造るんですか?」と聞いたのだ。彼は「なんと言ったと思いますか?」と勢い込む。
「『この素材が活きたいように活かしてやるんだ』と言うんです。
『ノット、メイキング。バット、ブリューイング』……つくるんじゃない。醸すんだ、と言うんです」