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フラット3、サッカーの日本化、デュエル、可変システム、現在の日本代表に連なる躍進の34年間

2026.06.28

1998〜 フィリップ・トルシエ監督の「フラット3」

[2002年 日韓W杯 グループリーグ チュニジア戦]

フラット3

3人のセンターバックがフラットのラインを形成し、積極的な中盤のボール奪取を可能にするためのシステム。それまでの3バック=2ストッパー+スイーパーという固定観念を覆し、攻撃的な守備という思考を広めたが、全員に高い集中力とハードワークが求められた。

2002〜 ジーコ監督の「個人尊重」

[2006年 ドイツW杯 グループリーグ クロアチア戦]

個人尊重

選手時代の経験から、戦術で縛るのではなく、選手の個性やアイデアを生かすことを重視。特に攻撃面は選手間の感覚的なイメージ共有に重きを置いた。守備はアジアから世界に舞台が変わるに当たり、マンツーマン気味の守備をベースにしながらバランスを重視した。

2006〜 イビチャ・オシム監督の「考えながら走る」

[2007年 アジアカップ 準決勝 サウジアラビア戦]

考えながら走る

単に世界基準を追うのではなく、日本人の長所である勤勉さ、協調性、高い技術などを生かしつつ、型にハマらない流動的を重視。運動量は多くなるが、ピッチ上の状況に応じて判断し、最適なスペースへ動くことを求めた。森保監督の「臨機応変」にも影響を与える。

2007〜 岡田武史監督の「ブロック守備」

[2010年 南アフリカW杯 グループリーグ デンマーク戦]

ブロック守備

当初はハイプレスと迫力ある攻撃を標榜していたが、結果が出ない中で本番直前に選手と話し合い、徹底した守備ブロックから相手の隙を突く戦い方を決断。本田圭佑を1トップ、阿部勇樹をアンカーとする4-1-4-1で粘り強く守りながら少ないチャンスをものにする。

河治 フランスW杯以降は〝トルシエジャパン〟の時代に入ります。戸田さん自身も2002年の日韓W杯を経験されました。

戸田 トルシエさんって、特殊でしたよね。ユースや五輪も含めて全部の日本代表を見ていたので。加えて、コンフォートゾーン(安全な領域)から選手を外に連れ出す感じがありました。ユースをアフリカに連れて行くなど、いろんな刺激を与えて、世界を見る感覚を植え付けていたと思います。

河治 その積み重ねが、U-20代表ワールドユース準優勝、シドニー五輪ベスト8、そして2002年の日韓W杯につながりました。

戸田 日韓W杯のチームは、すごく方向性がはっきりしていました。甘えも妥協もなかった。良い意味でピリピリしていたと思います。

河治 「フラット3」のイメージがとても強く、システマティックなチームだった印象があります。

戸田 そこまで機械的ではなかったですよ。中田浩二がどんどん攻撃参加していたし、小野伸二が左で時間を作るなど、流動性もありました。決め事だけで動いていたわけじゃなかったんですよ。ちなみに中田英寿という存在が出てきたのも実に大きかった。日本サッカーの基準が変わりましたよね。

河治 次の〝ジーコジャパン〟はかなり方向を転換しました。

戸田 〝自由〟というイメージが強く、実際、選手にかなり任せていたと思います。それは間違いではないけど、選手同士でコンセンサスを作り切れないと難しくなる。

河治 中田英寿、中村俊輔、小笠原満男、稲本潤一と、タレントがすごく揃っていましたけど。

戸田 だからこそ誰がまとめるのかという問題があったのかなと。

河治 そこからオシム監督、岡田監督へと続き、2010年南アフリカW杯では日本が再びベスト16へ進出しました。

戸田 この頃は本田圭佑の存在感が大きかった。それと阿部勇樹がアンカーに入って4−1−4−1のフォーメーションとなり、各選手が特徴を出せるようになった。

河治 岡田監督は本番直前で、かなり大胆に戦い方を変えました。

戸田 結果的に、それがハマりましたよね。センターバックが中澤佑二と闘莉王なら、ラインを下げて守る方が強みは出る。その土台ができたことで、前のポジションにいる選手も生きたと思います。

歴代選手07|中村俊輔

正確な左足を武器に活躍。2002年日韓W杯まさかの選外。2006年は大会中に高熱を発症、2010年はオランダ戦1試合にとどまるなど、日本代表ではなかなか恵まれなかった。PK担当として〝森保ジャパン〟のコーチに。

歴代選手08|高原直泰

小野伸二、稲本潤一と並ぶ〝黄金世代〟のストライカー。エース候補として期待された日韓W杯の直前にエコノミークラス症候群を発生し、長距離移動のリスクを広めた。現在はJFLに所属する沖縄SVのCEOと監督を兼ねる。

中村俊輔

歴代選手09|小野伸二

「天才」の名を欲しいままにしたテクニシャン。フランスW杯ジャマイカ戦は、最年少の18歳と272日で出場。シドニー五輪予選で負った大ケガが悔やまれるが、それでも欧州や代表で活躍し、44歳まで現役でプレーした。

歴代選手10|中田英寿

海外日本人選手のパイオニア的な存在。日本が初めて出場した1998年フランスW杯の直後からイタリアやイングランドで活躍し、2006年ドイツW杯で現役を引退。「人生とは旅であり……」という名言を残した。

小野伸二

歴代選手11|中澤佑二

ボンバーヘッドがトレードマーク。「非エリート」から日本を代表するDFへと這い上がった。2010年の南アフリカW杯では田中マルクス闘莉王とともに、鉄壁のセンターバックコンビを形成して、ベスト16進出を支えた。

歴代選手12|川口能活

1998年から2010年まで4大会でW杯メンバーに。優勝した2004年アジアカップ ヨルダン戦のPKストップは後世まで語り継がれる。Jリーグでも長く活躍し、果敢に挑戦する姿は、後に続く川島永嗣などに影響を与えた。

中澤佑二

サッカー界隈で話題になった主な歴代トピックス〈Part. 02〉

2002年の日韓W杯では、出場選手のルックスが注目され、イングランド代表のデビット・ベッカム選手と同じ髪型が大流行。カメルーン代表のキャンプ地・大分県中津江村も話題に。Jリーグではオズワルド・オリヴェイラ監督率いる鹿島アントラーズが前人未到の3連覇を果たした。

横浜マリノスと横浜フリューゲルスの合併  U-20代表のワールドユース準優勝
AFCアジアカップ優勝  ベッカムヘア  大五郎カット  バットマン  

中津江村フィーバー  「……大黒、巻……」  QBK(急にボールが来た)  
ヒデ引退  鹿島Jリーグ3連覇  ジダンの頭突き事件  アンカー阿部  
「岡ちゃん、ごめんね」  本田△

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