世界初の木造人工衛星「LignoSat(リグノサット)」。木は大気圏に再突入する際、炭素と酸素と水素に分解され、宇宙環境に悪影響を及ぼす金属粒子を発生させない。スターリンク計画など、何千もの小型人工衛星が実用化される中、木造人工衛星には大きな利点がある。
NASAもJAXAも考えつかなかった木造人工衛星を製作したのは、京都大と住友林業の共同研究チームだ。4年越しのプロジェクトで、その軌跡は@DIME「日本が生んだ世界初の木製人工衛星」として何回か取り上げてきた。
京都大学と住友林業が開発した世界初の木造人工衛星「LignoSat」に秘められた驚くべき能力
木造の人工衛星――果たしてそんなものが成り立つのか。今回はNASA(アメリカ航空宇宙局)もJAXA(宇宙航空研究開発機構)も、露ほども想像できなかったものを日本...
拍手が沸き起こったのだが…
2024年12月9日、午後8時17分、一辺が10cmのキューブ型の試作機「リグノサット」が国際宇宙ステーション(ISS)から宇宙空間に放出された。このプロジェクトに当初から関わる住友林業 筑波研究所住宅・建築第2グループ マネージャー苅谷健司(55)は、JAXA筑波宇宙センターの管制室の横のVIPルームで、関係者とともにスクリーンに映る放出シーンを見入っていた。苅谷は言う。
完成した木造人工衛星(LignoSat)フライトモデル(打ち上げ実機)/京都大学
「放出の瞬間に立ち会うことができました。宇宙飛行士がロボットアームを操作して、J‐SSOD(ソット)という10cmの立方体のリグノサットを格納したコンテナをつかみ、ISSの放出口から宇宙空間にアームを伸ばしていく。『5,4,3,2,』と、カウントダウンの声が管制室に響いて、J‐SODDのフタが開く。J‐SODDの中に押し込まれたリグノサットは、内蔵されたスプリングの力で宇宙空間に押し出される。
放出は予定通りうまくいきました。管制室の横のVIPルームはガラス張りで、リグノサットの放出が完了すると、JAXAの管制室のスタッフ全員がこちらを振り向き、拍手をしてくれました」
4年越しのプロジェクトだった。VIPルームで苅谷は拍手に包まれ、感激もひとしおであった。プロジェクトを中心メンバーの一人、宇宙飛行士で現在、京都大特定教授の土井隆氏ら研究スタッフは京大構内の研究室でライブ映像を見守っていた。
今回の世界初の木造人工衛星の主なミッションは、過酷な宇宙空間での木製の立方体内部の温度分布や木のゆがみ等、木造の可能性を測ることにあったのだが――。
衛星の放出から3日を経た現時点でも
「放出から30分でアンテナが展開して、1時間後には北米大陸の横を通過するので、現地のアマチュア無線家から電波を受信したという一報が入るかなと、期待していたのですが……」
リグノサットは90分で地球を一周する。翌10日午前6時ごろ、運営拠点が置かれた京大構内の研究室に近い上空を通過したが、リグノサットと通信は取れず、衛星の放出から3日を経た執筆時点でも、通信は途絶えたままである。
京大の研究者チームとともに、初期から木製人工衛星の開発に携わった苅谷健司は、いささか落胆する状況なのであるが――。
木造人工衛星の試作機完成までを簡単に説明すると、宇宙飛行士で現在、京大特定教授の土井孝雄氏の「人は大昔から木とともに進化した。近未来に火星に人が移住するなら、火星に植林をして育った木で木造住宅を造ろう」という持論がはじまりだった。
数千もの小型人工衛星を張りめぐらす、メガコンステレーション計画が進行中だ。従来の小型衛星は役目を終え、大気圏に再突入した際に金属粒子が発生する。宇宙デブリ(ゴミ)が社会問題化する中、木製なら大気圏に突入し燃え尽きても、炭素と酸素と水素に分解され、宇宙デブリの金属粒子を発生させない。
誰も考えつかなかったが、宇宙環境に悪影響を及ぼさない木材は、人工衛星に最も向いているのではないか。
木造人工衛星の製作の困難
木質空間と人について、京都大農学部と十数年、共同研究を行ってきた住友林業の苅谷たち研究員は、このテーマに取り組んだ。2022年には294日間、宇宙空間に木材をさらす曝露試験を実施。厳しい宇宙環境でも木材にまったく変化がないことを確認。ホウノキを使った、一辺が10cmのキューブ型の木造人工衛星の製作では、「留め形隠し蟻組接ぎ」という日本の伝統技法で、職人が厚さ4ミリの板をキューブ型に仕上げた。
さらに、観測のための電子基盤等が詰まったキューブ型の箱にアルミのフレームを取り付け、JAXAのレギュレーションに沿い、J‐SODD から宇宙空間に放出する際に必要なアルミ製のレールを取り付けた。太陽光パネルをキューブ型の表面に貼るときは、細心の注意を払い、NASAが公認の接着剤を厳しい宇宙環境で剥がれないよう仕上げた。
人類初の木造衛星は軌道に乗ったが……
刈谷は言う。「木造人工衛星は世界初ですから、安全審査に合格するのに苦労しました。JAXAやNASAからの質問は細かくて、例えば『変なガスが出るんじゃないか』『振動で木粉が発生して、機械に悪影響を及ぼすのではないか』とか」
時には重箱の隅をつつくような問いに、苅谷や京大の若手研究者たちは、エビデンスを示しクリアしていった。
今年5月30日に京都大学の大益川ホールで完成発表会を開催。木造人工衛星リグノサット1号機は6月4日にJAXAに納入。その後、米国フロリダ州のケネディ宇宙センターに輸送され11月5日、スペースX社のドラゴン補給船で、ISSに向けて打上げられた。
ISSに搬入されたリグノサットが、宇宙空間に放出たのは12月9日。人類初の木造人工衛星は地球周回の軌道に乗ったことは、地上の複数の観測装置で証明されている。世界初となる木造人工衛星のデータの採集に、研究スタッフは手ぐすね引いているのだが……。
未だ衛星からの通信はない。
苅谷は言う。「考えられるのは電源が入っていないか、アンテナが開いていないか。放出後の4日間はアンテナを開くプログラムが命令を送り続けますし、国内に設置された強力なパワーの通信機で、強力な電波を衛星に送り、アンテナの展開を試みることも視野に入れています。運営拠点がある京大の研究室で、研究者は衛星との通信に全力を挙げていますし、まだあきらめたわけではありません」
さて、宇宙空間のリグノサットはどうなったのか。明日アップの後半を乞うご期待。
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取材・文/根岸康雄