木で造られた衛星――本当にそんなものが可能なのか。NASA(アメリカ航空宇宙局)もJAXA(宇宙航空研究開発機構)も、宇宙で木を使う発想はどこにもなかったが――。
国際宇宙ステーション(ISS)船外に約10カ月さらされた木片は、2023年1月帰還して、ほとんど劣化のないことを証明。来年、木造の人工衛星の打ち上げを目指す日本人たちがいる。数千基の衛星で地球を広範囲にカバーする、メガコンステレーション構想の具体化で、木造衛星は斬新なイノベーションをもたらす可能性を秘めている。
住友林業株式会社 筑波研究所住宅・建築2グループチームマネージャー 苅谷健司さん(53歳)。木造人工衛星のプロジェクトの主要メンバーの彼に話を聞いた、木の香りが漂う3階建ての筑波研究所は、この会社の木造のビル建設の要となる工法を用い、2019年に竣工した。
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世界初の試みに危惧の声
そもそもは、京都大学特定教授でもある土井隆雄宇宙飛行士の“火星での植林”という発案が“宇宙と木”のきっかけだった。
木造の人工衛星なら役目を終え大気圏突入した際に燃え尽き、宇宙ゴミを出さない。木は温もりがあり、木目模様の揺らぎはメンタル面で宇宙飛行士に好影響を与えるなど利点が次々に浮き彫りになった。
以前からの京都大農学部の先生との共同研究の実績から2020年、木造人工衛星打ち上げをめざす共同研究がスタート。自社林から切り出した木材の実証試験が行われ、人工衛星に適した木として、ヤマザクラ、ホウノキ、ダケカンバを選定。JAXAに選定された事業者によって、ISS(国際宇宙ステーション)の日本の実験棟「きぼう」の船外に木材を置く、曝露試験の実現に漕ぎ着けた。
NASAもJAXAも、宇宙で木を使うという発想は1ミリもなかった。まったく新しい挑戦に、宇宙界隈の関係者から疑問が相次ぐ。「船内で木が燃えたらどうするのか?」「燃えて有毒ガスが発生したら、宇宙飛行士や精密計器に重大な支障が出る」等々。
ロボットアームで「きぼう」の船外へ
「ISSの船内に、木製のギターを持ち込んだ宇宙飛行士もいるそうじゃないか」
「宇宙空間にさらしても、宇宙は空気がないから燃えませんよ」
そんな関係者の声もあったが、京大グループと苅谷たち研究員は、一つ一つの疑問にデータを積み重ね、木材を船内に持ち込むための安全性を担保した。
宇宙空間にさらす3種の木は長さ5.6cm、幅8.6mm。これらを並べてアルミのパックに収納し事業者に預けた。実験用の木材はJAXAに引き渡され、これがISSに物資を運ぶロケットに積み込まれて、ISSで長期任務にあたる宇宙飛行士のもとに届けられた。2022年2月のことである。
曝露試験材は若田光一飛行士によって船外曝露実験アダプタに取り付けられた。その後試験材はエアロックを通って船外に搬出され、ロボットアームにより船外のプラットフォームに設置された。宇宙空間に設置されたプラットフォームに木材をさらす、世界初の実験がスタートしたのだ。時々送られてくる宇宙空間に置かれた木材のライブ映像に目をやりながら、苅谷健司の脳裏にはいくつかの危惧が渦巻いていた。苅谷は語る。
「紫外線で焼かれて、木の表面の色が濃く変色するかもしれない。生物素材を侵食する宇宙空間の作用によって表面が劣化し、やすりで削ったように、ザラザラになるかもしれない。宇宙空間は水分0%ですから、絶乾状態の中で木が反り返ったり割れたりするかもしれないと、心配の種は尽きませんでした」
曝露実験の成果を足がかりにして、木造人工衛星の打ち上げにつなげたい――それはプロジェクトに携わる全員の思いだった。
294日間の宇宙空間の“旅”その結果は?
2022年12月、294日間に渡って宇宙空間にさらされた木は、宇宙飛行士の手によりロボットアームで回収され地球に帰還した。筑波のJAXAの施設のクリーンルームで、対面したアルミパックの中の木材は、「調子抜けするほど何も変わっていなくて、人工衛星に使えると確信しましたね」(苅谷健司)。
目視とマイクロスコープの評価により、3種の木には割れ、反り、剥がれ、表面摩耗など劣化はまったく認められなかった。宇宙空間の約10カ月さらされた木は現在、惑星物質専門の研究機関で、ナノレベルの物質変化の解明がなされている。
さて、次のターゲットは来年に迫った木造衛星の打ち上げである。大型の衛星ではない。地上400㎞ほどで地球を周回するのは、縦横10㎝の立方体、キューブ型の人工衛星である。外側を木造で仕上げ、ソーラパネルを貼った箱の中には、木のデータを感知する計器が詰まっている。
「宇宙で試験をした3種の木のうち、ホウノキを選んだのは、人工衛星の立方体の制作を依頼した江戸時代からの伝統工芸を継承する指物師さんが、一番加工しやすいホウノキにしようと」
JAXAの審査をクリアし計画通りいけば、来年2月以降、ISSに運ばれて小型衛星放出機構(J-SSOD)にセットされ、宇宙空間に放出される。計画では2年ほど地球を周回し、データを収集することになっている。
見えてくる木造人工衛星の近未来
――人工衛星の実験で、過酷な宇宙環境での木の有効性の実証できれば、
「宇宙で木を使う発想が、定着するかもしれません。宇宙船の内装に木を使うとか、人工衛星を木造にしようとか、いろんなチャレンジが生まれます」
小型の人工衛星の計画は低軌道に数千の小型衛星を配置し、インターネット等の利便性を高めるメガコンステレーションの構想を視野に入れたものだ。
「通常の人工衛星はアンテナを展開し、通信手段を得なければなりません。ところが木は電波を通しやすい。宇宙空間でアンテナの設置を展開しなくても、木造なら衛星の内部にアンテナを組み込めるかもしれません」
宇宙から帰還した木はナノレベルの解析が行われているが、地球での木材の新たな可能性への着目にもつながっている。
「木はソフトウエアに悪影響を及ぼす中性子を通しにくいのです。太陽フレアが活発な時期、中性子がサーバーコンピュータに悪さをする可能性があります。コンピュータルームを木造りにすることで、サーバーをより安全な状態に保つことができるかもしれません」
そして、苅谷健司はこう語る。
「10年以上前なら、100mのビルを木で建てるなんて、鼻で笑われましたが、今は欧米を中心に木造の高いビルが、どんどん建てられている。それと同じように木で人工衛星や宇宙船を作ると言っても、今は本気にされませんが、20~30年後にはそれが当たり前になっているかもしれませんよ」
取材・文/根岸康雄