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退職後に出戻ってくる「ブーメラン社員」を受け入れる企業側の本音

2022.12.22

■連載/あるあるビジネス処方箋

今回と次回は、「ブーメラン社員」について取り上げたい。退職した社員が何らかの事情で再び入社し、復帰する制度は「出戻り制度」として知られていた。最近は、「ブーメラン制度」などと紹介されるようになった。そのような記事や報道は、制度の概要や内容に重きを置いたものが多い。社員を取り上げても、スムーズに復帰したケースが目立つ。

実際は、そんなに上手くいくものだろうか。いったん辞めた社員を戻すことは会社を経営する側にとって一定のリスクがあるはずだ。それでも入社を認める背景には、何があるのだろうか。あるいは、その社員は復帰後、何を感じているのだろうか。そこで今回は、ブーメラン社員と受け入れた会社を経営する社長に取材を試みた。

取材対象は、ヒーターの製造メーカー・スリーハイ(横浜市)の男澤誠 代表取締役社長と営業事務・斎藤恭子さん。スリーハイは、職人の技師がオーダーメイドで産業用、工業用ヒーターを制作・販売する。現在、パート社員などを含め、従業員数は41人。

スリーハイの男澤誠 代表取締役社長

Q、退職し、その後、復帰した経緯をお教えください。

斎藤:営業事務担当として2010年3月に中途採用試験を経て入社し、オンラインショップの運営などをするEC事業部のグループリーダーをしていました。退職した2021年2月末よりも少し前から海外事業にも関わるようになったのです。EC事業と海外事業の双方に携わると仕事の量が増え、その対応のバランスが難しくなりました。

その頃、子どもが小学校に入学する時期と重なり、その準備にも追われます。時を同じくして夫が体調を崩し、しばらくの間、自宅で療養をするようになりました。これらのことをすべて私ひとりでしなければいけないんだと考えると、疲れきってしまったのだろうと思います。

2020年11月から特に忙しくなり、私にはもう無理だと心の中でリセットしてしまったんじゃないでしょうか。本当は上司に相談をすべきだったのですが、していませんでした。上司は部下からすると敷居が低く、話しやすく、信頼できる方です。それでも、あの頃の私には心の余裕がまったくなく、話し合うことすらできなかったのです。あの時に全部を捨ててしまったのでしょうかね。それまでに培った他の社員との信頼関係やつながり、そして生きていることすらも。

男澤:私の想像の域を出ておりませんが、ひとりで抱え込んでしまったのかもしれませんね。まじめで、誠実で、責任感がとても強い方ですから。

2020年12月に本人と1対1の話し合いの場で「辞めたいのですが…」といきなり言われて、ひっくり返るほどに驚きました。10年間にわたり、実にいい仕事をしていたし、会社の歴史をよく知っていて社員の間で中和剤のような働きをしてくれていたのです。上司や同僚との人間関係もよかったはずです。私としては、どうしても辞めてほしくなかった。ここまでバランス感覚が優れている人は社内外でほとんどいないのですから、当社にとって大きな損失になります。

そのような思いが強くあり、「家庭との両立が難しいならばしばらくの間、休業をしたり、短時間正社員として勤務することでもよろしいんじゃないですか」と言ったのですが、本人の意志は強かったのです。すぐに斎藤さんの上司にも伝え、話し合う場を設けるように指示をしました。上司もまた、斎藤さんを信頼しきっていたので、当初はうろたえ、言葉が出ないくらいでした。

私や上司、社員たちが「辞めないで」「一緒にいたいよ」などと声をかけたのですが、

考えは変わらないようでした。先代(現在の会長)から、「斎藤さんはすばらしい人材だから、長く残ってもらえるといいね」と何度も言われてきました。残念で仕方ありませんでしたが、もう引き止めることはできないと判断し、辞める考えを受け入れたのです。

斎藤:今、振り返ると実は様々な選択肢があったような気がします。あの時ははじめに退職ありき、でとにかく辞めよう、この苦しみから抜け出そうといった思いが強かったのだろうと思います。

スリーハイの斎藤恭子さん

その直後の3月から、自宅そばの町工場で営業事務として働きました。スリーハイには車で片道30分程かかりましたが、その町工場には自転車ですぐに行ける距離です。

通勤の負担はなくなりましたが、職場の雰囲気がまるで違うのです。勤務した9か月間で就業時間中に上司や社員と話をしたことは、挨拶以外はほとんどありません。スリーハイでは常に皆と同等に話し合い、笑い合います。そのような光景が、日常でした。その日常がなくなるなんて、なぜ私は想像ができなかったのでしょうか。ただ、自分でもわかっていました。たぶん、絶対、辞めたことを後悔するに決まっていると。ますます精神的に追い込まれていき、特につらかったことを覚えています。

同年の夏頃にはスリーハイに戻りたいなと思うようになりつつも、無理だろうなと考えていました。業績が拡大し、新しい人をどんどんと採用しているようでしたから。

その後、退職し、新たな会社を探しました。英語力を買われ、オールイングリッシュの幼稚園に入社したのですが、なじむことができずに5か月間で退職しました。この頃、スリーハイの社員やパート社員と電話やメールで連絡を取る機会がありました。社長ともメールを交換することがあったのですが、挨拶程度です。それ以上のことは、自分の都合で辞めたのですから話せませんでした。

男澤:その後、ある社員と私と斎藤さんで会食することがありました。その場で私から、こう伝えました。「可能ならば戻ってきてほしい。仮に斎藤さんがスリーハイに戻ってくる考えがあるならば、現在勤務する会社にきちんと辞める意志を伝え、残務処理などをしてトラブルがないようにするという前提のうえで歓迎したい」。斎藤さんはその時にある程度、いい反応をしてくれました。

ただし、その時点で辞めた社員が入社する制度があるわけではないのです。現時点(2022年12月)もありません。私は、退職した社員が在籍中に勤務態度がよく、すばらしい仕事をしたとしても、例えば「次の会社で上手くいきませんから、また戻ります」といった考えには小さな会社は慎重であるべき、と思っています。

この私の考えを斎藤さんに伝え、「しばらく待ってほしい」と言いました。斎藤さんのかつての上司と話し合ったり、社内の調整をはじめました。斎藤さんの代わりに入社し、仕事を担当している社員とも話し合いました。あるいは、斎藤さんが辞めた後に入社した社員も何人かいます。この人たちへの説明も必要でしょう。

社員たちに説明をしたポイントは、次のことです。

「現在拡大している海外事業の仕事は、英語と当社の製品に精通している斎藤さんでないと難しい。だから、私が復帰を求めた」

斎藤さんにも、その時点の職場に多少なりとも不満があり、当社に戻りたいといった思いはあったのでしょうが、まずは何よりも私の側から、会社の側から依頼したことをはっきりとさせたかったのです。これは、まさしく事実なのです。このあたりを誤解されると、斎藤さんが戻った後、何かの問題が生じるかもしれないと思ったのです。

最近、退職した社員が復帰する制度や試みが少しずつ増えているようですが、私は「会社の側から戻ってきてほしい」とお願いをしたほうが、その後の職場の人間関係などが円滑になるような気がしています。

後編へ

取材・文/吉田典史

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