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社長はフリー素材!?「ブラックサンダー」誕生から28年の有楽製菓3代目が仕掛けるユニークなブランド戦略

2022.07.02

■連載/阿部純子のトレンド探検隊

世界一‟ブラックサンダーマフラー”が似合う河合辰信社長のブランド戦略とは

堂々と「義理チョコ」を宣言したバレンタインの自虐的キャンペーンや、「おいしさイナズマ級!」「応仁の乱以来の衝撃!」といった斜め上を行くキャッチコピーなど、独自のブランド戦略を展開する「ブラックサンダー」。

有楽製菓の河合辰信氏は2010年に有楽製菓入社。マーケティング部を立ち上げ、ユニークなPRやキャンペーンを数々打ち出している。2018年に先代社長で父の河合伴治氏より家業を引き継ぎ、三代目の代表取締役社長就任。社長就任後も自ら“フリー素材”となって率先してPRに登場、“ブラックサンダーの会社ってなんか面白い”とイメージ戦略に一役買っている。

東京都小平市にある有楽製菓本社を訪ね、「ブラックサンダー」が仕掛けるマーケティング戦術について河合社長に話を伺った。

【河合辰信氏 プロフィール】
1982年生まれ、愛知県豊橋市出身。2007年横浜国立大学大学院修了、同年にIT関連企業に入社。2010年に有楽製菓入社、2011年8月にマーケティング部を立ち上げ、2013年4月にマーケティング部長、同年秋に取締役就任。2018年に35歳で代表取締役社長に就任。

今や国民的チョコ菓子として愛されている「ブラックサンダー」が誕生したのは1994年。2代目社長の河合伴治氏が、当時有楽製菓の主力商品であったパフを使ったサクサク食感の「チョコナッツスリー」とは真逆な、ザクザクとした食感のチョコ菓子を作りたいと開発されたのがブラックサンダーだった。

誕生翌年の1995年には販売不振のため、一時生産中止になったものの、九州で人気があったことから生産を再開、その後2006年にベストセラー本「生協の白石さん」で紹介されたことから話題になり、2008年の北京オリンピックで、体操の内村航平選手のお気に入りであることが紹介され爆発的なヒットとなった。

――ブラックサンダーという商品名、キャッチコピーはどのようにして生まれたのですか?

「ココアクッキーを特長にしていたので“ブラック”を名前に入れようということ、30円という価格で、当初は子ども向けに作られた商品だったため、子どもが好きそうな戦隊モノのような名前にしようと『ブラックサンダー』になりました。名前の響きが食感のザクザク感にもつながるので、そうしたイメージもあったかもしれません。

『おいしさイナズマ級!』のコピーは2000年の2代目パッケージからですが、どうして生まれたのか今となっては謎でして(笑)。2003年の3代目のパッケージではアルファベットからカタカナに変わりましたが、そのときに担当したのが入社3年目のブラックサンダーが大好きな社員。『もっと売れる商品だからデザインを変えるべき!』と直訴して、当時は全然売れていなかったので、どうぞ勝手にと若い社員に任せたそうです。

3代目パッケージで『若い女性に大ヒット中!』のコピーが登場しました。当時社長だった父が、『ブラックサンダーが好きというファンレターが女性からたくさん来ているんだから、パッケージに書けばいい』との一言で採用。当時は今ほどSNSが発達していなかったこともあり、女性から手書きのファンレターが本当にたくさん届いていたんですよ」

――河合社長が家で食べるおやつは、やはり「ブラックサンダー」が定番だった?

「ブラックサンダーが生まれた当時は小学生でしたが全然知らなくて、食べたこともなかったんです。2001年から実家を離れて横浜にいたので、少しずつ人気が出てきたブラックサンダーを知らないまま過ごしました。
私が最初にブラックサンダーを認識したのは2005年ごろで、当時大学院生でしたが、後輩が『これ知っていますか?今、大学生協で話題なんですよ』と持ってきてくれて、パッケージを見たら有楽製菓と書いてありました(笑)」

2006年以降、「生協の白石さん」や内村選手の発言で、「ブラックサンダー」は右肩上がりに成長を続け、2009年には年間売上1億個を突破。しかし品切れが続き、なかなか手に入らない幻のお菓子状態に。

――品薄だったのはなにか理由があったのでしょうか?

「内村さんの発言で話題となり売上がぐんと伸びましたが、製造能力に限界があり、フル稼働で生産していたものの品薄状態が3年ほど続いていました。私が入社した翌年の2011年に豊橋の新工場(下記画像)ができてようやく欠品なく提供できるようになったのです」

――マーケティング部を立ち上げたきっかけは?

「新工場完成と同じ年の2011年にマーケティング部を立ち上げました。当時の社長だった父の発案で、立ち上げの半年前ぐらいから社内でマーケティングの勉強会をやっていました。今までは良い製品を作ることでお客様に買っていただけていましたが、それだけではその先につなげていけない、新しいものをどんどん生み出していき、より会社を成長させるため、マーケティングの必要性を感じていたためです。

企画開発を担当していて、勉強会にも参加していた私と、もう一人の社員でマーケティング部を立ち上げました。入社前はIT企業でシステムエンジニアとして働いていましたので、私ももう一人の社員もマーケティングは未経験で、実務を行いながら勉強していました。専門的なマーケティングを学んでいる方から見れば、我々はまだ素人レベルかもしれませんが、実務経験で培って得たものはたくさんあり、その経験をマーケティングにも活かしています」

――2013年のバレンタインでは「一目で義理とわかるチョコ」キャンペーンを新宿で展開し大きな話題になりました。

「チョコレートのメーカーなのでバレンタインが一番売れる時期だろうと思っていましたが、有楽製菓で一番出荷が多いのは12月。寒い冬の方がチョコは売れることから需要が高まる時期で、年末年始で物流が止まるため問屋が在庫をしっかりと確保するなどの理由からです。

入社してわかったのですが、2月は12月と比べるとそんなにもヤマがないし、社内でも特別な取り組みをしていませんでした。OEMも受けていたので他社さんのバレンタイン用商品は製造していましたが、社内では特になにもバレンタイン企画をしていなかった。それが不思議だったので私の発案でバレンタイン企画をやることになりました。

“義理チョコ”と銘打ったのは、『本命じゃないよね。だったら義理って堂々と謳わないとダメでしょ』という考えが根底にあったからです。社内では『義理を前面に出すのはどうか』という声もありましたが、ま、社員もうすうす感じていたんでしょうね、本命じゃないと(笑)。

実は、キャンペーンを行う前年の2012年にパッケージに『義理』と書いて出そうかという案も出ていたのですが、さすがに売れ残ってしまったら困ると却下されました(笑)。

そして2013年に満を持してバレンタイン企画をやろうとプランを考えていたときに、飛び込みで企画会社の方が来ました。ノリがすごく合う会社で新宿のコンコースを使ってやってみようかと議論しながら企画が生まれました。

『無料義理チョコマシーン』という自動販売機を2台設置。専用サイトに情報を登録することでQRコードが手に入り、それをマシーンにかざすことで『義理チョコの素』がもらえる仕組み。しかし、当時社長だった父からバレンタインイベントは『意味がわからない』と言われ続けました。

マーケティング部を立ち上げて、ブラックサンダーがなぜこんなにも愛されているかを考えた結果、ブラックサンダーの他にはない世界観をお客様は求めているのではないかという結論に行きつきました。『これがブランドが愛される理由なんです!だからこれが必要なんです!』『これをやったら商品が売れるのか?』『それはわかりません!』っていうやり取りを繰り返し、父が根負けした、というよりさせました(笑)。

実は今だから話してしまいますが、バレンタイン企画の裏のテーマとして『義理チョコでチロルチョコに勝つ』という野望がありました。義理チョコといえばチロル、というような立ち位置で、私自身も社員からバレンタインでチロルチョコをもらったことがあったほど(笑)。義理チョコでNo.1を取るのならチロルチョコには勝ちたい!という熱い想いがありました」

しかし、2021年のバレンタイン以降、義理チョコから方向転換。義理チョコ文化を煽りすぎてしまったことを反省し、もっと自由にバレンタインを楽しんでもらいたいという想いから「それもありでしょ?バレンタイン」をテーマに(「ついに義理チョコから脱却!?「至高の超生ブラックサンダー」のスゴい本命感」)、新しいキャンペーンを実施した。

――あれほど煽った「義理チョコ」から脱却した理由は?

「バレンタインって、子どもの頃は本当にワクワクドキドキする楽しいイベントだったのに、大人になったらワクワク感が消え失せ、義理チョコやバレンタインにネガティブな思いを持つ人もいます。そこで、子どもの頃に楽しかったバレンタインの思い出を取り戻そうというコンセプトを作りました。最初は社内でもそこまでの共通認識を持つのは難しかったのですが、最後には『義理、義理と言いすぎた』という結論に達して、『下駄箱』などのユニークな商品の発想に結びつきました。

もともとバレンタインの時期にどれだけ売るかでなく、どれだけ楽しませるかということにフォーカスしているので、今後も、時代に合わせたバレンタインの楽しみ方をブラックサンダーらしく提案することを続けていきたいと思っています」

2018年に3代目社長に就任、現在も社長自らが広告塔となってPR活動を展開している。2021年バレンタイン企画で登場した、ブラックサンダーの空のパッケージをつなぎあわせた「ブラックサンダーマフラー」をまとった河合社長は、プロフィール写真としてひっぱりだこで、さまざまコラボ企画にも登場している(下記は次回で紹介する、ホテルアソシア豊橋で開催中の「ブラックサンダールーム」内)。

――社長自らが率先してPRに登場している意図とは?

「自分が出て効果があれば使えばいい、しかもタダだしという考え方で、自分は『フリー素材』だといつも言っています。社長がふざけた存在だと、有楽製菓はユニークな会社なんだろうなと思ってもらえて、それはブラックサンダーのイメージにも重なります。

我々が目指しているものが一目で伝わるので、イベントで先陣切って学ラン着たり、マフラー巻いて写真を撮ったり、メイクされたりということにも意味があると考えています。社長が体を張ってなんでもやっているというのは話題にもなるので、宣伝のみならず、入社を志す若い方にもこういう会社で働いてみたいと思わせる、打算的な目論見もたっぷりありますが(笑)」

世界一ブラックサンダーマフラーが似合う河合社長インタビューは次回につづく

文/阿部純子

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