コロナ禍を機に、一気に加速した「DX」だが、その行きつく先にはどんな未来が待っているのか。昨年の都知事選にも立候補した小説家、沢しおんが2040年のTOKYOを舞台にIT技術の行く末と、テクノロジーによる社会・政治の変容を描く。
※本連載は雑誌「DIME」で掲載しているDX小説です。
【これまでのあらすじ】
二十年のうちにデジタル化が浸透した二〇四〇年の東京。道州制導入を来年にひかえた日本では、廃藩置県以来一七〇年ぶりの大ムーブメントとばかりに、自治体の再編と州都の誕生に湧いていた。近々役割を終える「デジタル推進課」の葦原(あしはら)は、現実社会と量子ネットワークの両方から消えた住民データの調査に関わることになるが――。
昔ながらの議員気質
あくる日、葦原はいつものように玄関アプローチを通り分庁舎(はなれ)へ入ろうとしたが、どういうわけか警備ドローンによって行く手を阻まれた。サイレンこそ鳴らされなかったが、異常を告げる赤いランプが明滅している。
「シバラク、オマチクダサイ」
抑揚のないロボット音声に言われると、こちらに不手際はなくともなぜか悪いことをしてしまった気になってしまう。
「何かありましたかー」
入り口の詰め所から警備員が顔を覗かせた。
「いつもは通れるのに、なぜか止められてしまいまして」
「そうしたら、PA(パーソナル・アシスタント)をそのランプの下あたりにタッチしてもらえますかー」
言われるままに、葦原はポケットからPA端末を取り出して警備ドローンのセンサー部に押し当てた。
警備員は手元のタブレットに表示された情報と葦原の顔を見比べながら操作をした。するとランプの光が消え、警備ドローンは「ゴキョウリョク、アリガトウゴザイマス」と発声して元の位置へと帰っていった。
「昨日の午後くらいから調子悪いんですよねー。何人か通せんぼ食らってて。デジタル推進課でしょ、何か知ってますー?」
警備員が間延びした声で葦原に訊いた。
「いえ、全然」
「ありゃ。コミュニティーバスや都営の地下鉄なんかも、わざわざ端末取り出して何度かピッてやらないと乗れなかったみたいですよ。障害ですかねー」
「デジタルインフラ局から情報出てたかな」
葦原はPAで庁内掲示を確認しようとしたが、エラーが出てアクセスできなかった。
「これ、エラー出てるんですが、まだ認証が通ってないってことですか?」
警備員は再び「ありゃ」と言って、タブレットを操作した。
入館時の認証によって、PAをはじめとした所持端末は一般の7G回線から専用のLG−WWAN(ローカル・ガバメント ワイヤレス・ワイド・エリア・ネットワーク)接続に切り替わる。正常に切り替わらなければ庁内の情報には一切アクセスできない。
「もう一度操作したんで、たぶん今度は大丈夫じゃないですかねー」
警備員は頭を掻いた。葦原は「ありがとうございます」と告げつつ、庁内掲示は着いてから確認することにして、足早にデジタル推進課の部屋へ向かった。
ドアを開けると、相変わらずフロアの中心を〝ご神木〟の幹が柱のように貫いているのが目に飛び込んでくる。葦原は、何度見てもこの光景に慣れなかった。
「さっき玄関の警備で聞いたんですが、インフラで問題発生してます?」
葦原が誰へともなく尋ねる。
「ああ。そのことで大黒課長が議員に呼ばれて、さっき議会の控室へ説明に行ったばかりだよ。ネットワークの調子が悪くてこっちの作業にも影響が出てる」
エンジニアの谷津(やづ)が、VRゴーグルをつけたまま答えた。
広大なデータ領域にアクセスして調査を進めるにあたっては、モニターを凝視するやり方は非効率だ。谷津がやっているようにビジュアライズされたデータ世界に自身が入り込み「探し物」をするのは、今では割とポピュラーな手法だ。
「ってことは、推進課も関係あるんですか。障害でデジタルインフラ局が呼ばれるならわかるんですが」
「直接の関係なんかないって。あってたまるか。ウチとインフラの区別がついてないんだよ、佐流山(さるやま)議員は。デジタルのことなら大黒課長を指名すれば何とかなるって思ってる」
「呼び出さなくてもやりとりできるのに。完全に無駄ですね」
「東京レガシーの会だし、古式ゆかしいのが好きなんだよ、議員さんは。せいぜい、ツインタワーと議事堂を行ったり来たりさせられてた頃よりは良くなったくらい」
谷津の言った「東京レガシーの会」は、国政政党「日本レガシー党」の都議団だ。葦原は「スクラップ・アンド・リビルド」を連呼していた昨日の街宣車を思い浮かべた。
どれだけデジタル化が進んでも、顔を合わせて言うことを聞かせたいという需要はなくならない。VRミーティングやAⅠアバターによる代理出席で時間や場所に縛られなくなったとはいえ、議会議員の中にはいまだに、担当職員を呼びつけて詰めるタイプの煩型(うるさがた)が何人もいる。
「諦めるしかないんですかね」
「課長はしばらくしたら戻ってくるよ。州都になったら、議会や議員が変わってくれりゃいいけど。課長はさ、押しの強い議員にどういうわけか気に入られてんだよ。デジタル化で議員がおとなしくなって喜んだ職員もいれば、さらなるパワハラに応え続けることで株を上げた人もいるってこと」
「そんなもんなんですかね」
「そんなもん、だよ」
谷津はゴーグルを外して葦原のほうを向いた。
「それより、消えたデータが復旧できそうな気配がしてきた」
「ほんとですか」
「ネットワーク障害が直ってくれないと、まだアクセスできない箇所があってハッキリしたことは言えないが。情報公開課の淡路(あわじ)さんの報告、読んだよ。昨日、窓口応対したんだって?」
「しました。来たのは消えた人の妹さん。役に立つほどのことはできなかったんですが。復旧できるなら朗報です」
葦原の頭の中で、櫛田(くしだ)から言われた「一刻も早くデータを復旧してあげるべきよ」という言葉がリフレインした。
「急ぎたいのはやまやまだけど、空白のところに住所氏名を埋めれば使えるってもんじゃない。LG−BC(ローカル・ガバメント ブロックチェーン)は、紙に書いてエクセルに入力してた時代のデータ構造とは違う。その人が生まれてから今日まで役所で処理された内容を、間違えずに全部入力し直すくらいのことは必要になるしな」
「そんな複雑なデータがきれいに消えたのは、なぜなんですかね」
「毎日それを考えながらデータの海にダイブしてるから、こんなんなってんだよ」
谷津は、目のまわりから額にかけてくっきりと浮かんだゴーグルの跡を指した。
しばらくして、課長の大黒がデジタル推進室に戻ってきたので、葦原は状況を尋ねた。
「お疲れ様です。佐流山議員からの呼び出しだったんですよね、どうでした?」
「世間話してる途中でデジタルインフラ局の局長が血相変えて飛び込んできたんで、バトンタッチ。直前まで報告を知事に上げてたらしい」
「大変ですね」
「障害で認証系がおかしくなっている。庁内システムだけでなく、LG−WWAN経由でアクセスするものはほとんど。無人運転のバスから、警察が現場で使うデータベースまで、相当広範囲。タイミングによって認証が通ったり通らなかったりしている状況」
大黒は「それで佐流山議員がお怒り」と言って議員から受け取ってきたプリントアウトを葦原に手渡した。
「紙だ……ネットワーク障害と一番遠そうなツールで怒ってきたんですか」
葦原の率直な感想に、奥で聞いていた谷津が笑った。
(続く)
※この物語およびこの解説はフィクションです。
【用語・設定解説】
LG-WWAN:2021年現在、総合行政ネットワーク(Local Government Wide Area Network)が地方自治体で活用されているが、それが将来的に6Gや7Gの時代を迎え、ワイヤレス対応となったもの。この物語では地方自治体がMVNO(仮想移動体通信事業者)として機能し、デジタル行政サービスが地域の垣根なく行き渡っているという設定。
ネットワーク障害:現代でも銀行のシステム障害や携帯キャリアのネットワーク障害が記憶に新しいが、20年後になっても変わらないどころか人々の生活におけるネットワークへの依存度がより一層高まっており、限定的で小規模な障害も可視化されやすくなっている。障害の頻発は、行政に求められる「無謬性」との相性は最悪である。
沢しおん(Sion Sawa)
本名:澤 紫臣 作家、IT関連企業役員。現在は自治体でDX戦略の顧問も務めている。2020年東京都知事選にて9位(2万738票)で落選。
※本記事は、雑誌「DIME」で連載中の小説「TOKYO 2040」を転載したものです。