■連載/あるあるビジネス処方箋
本連載の記事「職場でいつの間にか損をしている人の処方箋」で、一部の人に仕事が集中している場合、それには本人の同意があるのか。そもそも、一般職の社員が対処すべき仕事であるのか。実は、管理職がするべきではないのか。あるいは、派遣社員などを雇い、対処すべきではないか。本人が拒否しないから、「同意のうえ」として押し付ける形にしていないか。そこまで上司や周囲は想像力を働かる必要がある、と書いた。
この意味での想像力を兼ね備えた会社員を私は30年程で10人程しか見たことがない。大多数の人は、同じ部署の社員の成果や実績、評価には関心を持つ。だが、特定の人に仕事が集中していることには目を向けない。新聞やテレビ、雑誌、ネットニュースもここまで指摘するケースは少ない。だからこそ、何度でも取り上げたいと私は思う。ここには、過労死や過労自殺、パワハラ、いじめの温床がある。
私が30代の頃(2000~2005年前後)にこういう部署に在籍していたこともあり、「いつの間にか損をしている人」の心理がわかる気がする。前回「職場でいつの間にか損をしている人の処方箋」では書き足りないと感じたことを今回は補足する形で紹介したい。
結論から言えば、上司や部署の3分の1(10人の部員がいる場合、3∼4人)が、同じ部署でありながら他よりも仕事の量が多い社員がいることを把握できない場合、「想像力がない」と見なしていいと私は思う。このタイプの職場のメンバーは、仕事の量が多い人を「要領が悪い」「仕事力が低い」と見なす。
実は、自分たちが押し付けておきながらその無責任な姿勢を覆い隠すがごとく、特定の社員(仕事が多い人)のせいにして自己正当化する。だからこそ、言いたい。自分の仕事さえしていればいい。余力があったとしても、他人の仕事をしようなんて思わないほうがいい。誰もその誠意ある姿勢を評価しない。「便利な人」として見られ、いいように利用されるだけだ。
上司はいいやすい部下に言って、押し付けているだけだろう。うるさい部下や反論を激しくしてくる部下には押し付けない。「弱い」と思える者を狙うのが、管理職の防衛本能である。管理職とは聖人ではないし、宗教家でもない。皆、自分の身を守りたいのだ。
私は、ゆがんだ職場で懸命にがんばるあなたに損をさせたくないから言いたい。同じ職場にいる以上、ある程度は支え合うべきだ。しかし、それには限度がある。「自分ではできない」と思えば、すべきではない。「私にはできません」ときっぱりと断ろう。反感を招いたり、孤立するならばそのレベルの職場なのだ。仮に「私がします」と他人の仕事を請け負ったところでいいように利用され、さんざんと言われる。
どちらの選択をしようとも、報われない。ならば、自分の仕事さえきちんとしていればいい。上司や周囲が支え合うことをしない中、あなただけが他人の仕事をしてあげる理由はない。
私が知り得る範囲で言えば、想像力がない職場は、新卒時の入社の難易度が業界で言えば、上位3番以内やメガベンチャー企業には少ない。そこよりも下の企業、特に中堅、中小、ベンチャー企業に集中している。社内の人事の仕組み、例えば、採用、定着、育成の柱が立っていなかったりして、組織としては未熟である。社員の意識も総じて低い。こんなところでがんばっても報われないほうが多い。
30代前半までの年齢ならば、転職をしたほうがいいように思う。少なくとも、特定の社員のせいにして自らの無責任さを正当化することがまかり通っている職場に残っても、あなたに明るい未来は来ないだろう。
文/吉田典史