昨今の若い世代はSNSばかりで、体験や密な対人関係に乏しい。ウィズコロナの時代、ますますその傾向は顕著で、困りものだという現場の管理職の話をよく耳にする。本シリーズは逆張りではないが、若い人間も仕事を通して経験を積み、密な人間関係の中で悩み成長しているという話を紹介するシリーズである。
シリーズ第65回、第一三共ヘルスケア株式会社 経営企画部企画グループ 狩野芳信さん(29・入社6年目)。薬学部出身の狩野さん、修士課程での修論のテーマは「免疫と糖鎖について」。狩野さんが経営企画部に籍を置くのも意外だし、専門からいえば医療用医薬品の研究・開発の道に進むのが順当のように思えるのだが。
いきなり新製品の開発を任される
「僕は医療で用いる新薬の研究・開発よりドラッグストアで扱うような一般用医薬品に興味がありました」
――それはなぜですか。
「ドラッグストアで扱う一般用医薬品は、人々の暮らしに寄り添い、支えている感じがします。医療用の新薬を開発するには長い時間がかかります。入社して20年たっても、自分が手掛けた薬が世の中に出ていない、そんな研究員は珍しくない。一般用医薬品であれば、厚労省の認可を得ている成分を使うので、通常は3~4年の開発期間で市販できます」
最初の配属は研究センターだった。営業やマーケティングから、要望された新製品の開発を担う部署である。
「最初に任されたのは、風邪薬のルルの新製品でした。右も左もわからないのに、新製品の開発を任せてもらえるのかと、ちょっと驚きでした」
2005年に設立した第一三共ヘルスケアは、4つの製薬会社のヘルスケア事業が経営統合した会社で、それまで開発研究は親会社の力を借りていた。新卒採用を開始して間がなく、研究員が少ないことも、新製品の開発を任された背景にあるのだろう。
カプセルの色にもこだわりがある
彼が開発を任されたのは、これまでの1日3回の服用を1日2回で済ませるタイプのものだった。
簡単に言うと、飲んですぐに溶けださないよう、一部の有効成分を特殊な皮膜で覆い、すぐ溶ける顆粒と溶けにくい顆粒を混ぜ合わせる。厚労省に認可された範囲の中から、配合する有効成分をチョイスし、処方を組み立てる。薬の安定性を高めるための添加剤のプランニングを考えるのも彼の役割だった。
薬の成分を納めるカプセルの色は、オレンジと決まっていた。規格品のカプセルを使用すればいいものと思い込み、スケジュールに沿って製造の作業を進めていたのだが、
「狩野くん、確認しながら作業を進めてほしい」と、マーケッティング担当に苦言を呈せられる。オレンジ色のカプセルといっても一種類ではない。マーケティング担当者は柔らかい色味のカプセルを使いたい意向を持っていた。ところが彼はそこまでこだわりがあるとはつゆ知らずに作業を進め、まったく新しいカプセルに変更するのが、スケジュール的に難しい段階で、そのことを指摘されたのだ。
「申し訳ないと謝りました。色素を一つ変えるだけでも、安定性のデータを一から取り直さなければならないのですが、それをしている時間はない。安定性を再取得しなくてもいい範囲内で、色味をマーケティング担当者の要望に沿う形に変えました」
さて、ネーミングは
――カプセルの色のこだわりなんて、医療用医薬品の研究・開発をしていたら経験できない。ドラッグストアで販売する一般用医薬品を手掛けたからわかったことですね。
「薬のことだけやってきた自分には、なかった視点でした。カプセルの色味一つとっても、担当者は強い思いを持ってやっていると。確かに出来上がったものを見ると、柔らかいオレンジ色のほうがいい。お客さんがより親しみを持てそうな感じです」
――これが新薬のネーミングとなると、さらに大変だったでしょう。
研究担当に2年携わった彼は、開発担当の部署に異動になった。開発担当は薬のパッケージや名称についても関わっていく。
「名称はマーケティング担当を中心に、いろんな案が出ました。例えば、1日に2回服用すればいい薬なので、ロングタイムを意味するLTとか」
このLTは単純すぎたのか、社長のOKが得られなかった。関係者のネーミングに関するディスカッションはこんな感じだった。
「このシリーズは“EX”とか“NX”とか、”FX“とか、”X“が付くので、統一感を持たせるために、タイムの”T“を使い”TX“で行くべきじゃないでしょうか」
「ちょっと待ってくれ。もっとお客様の目線に立った合理的な名称があるはずだ」
タイムリリーステクノロジー
やがて話はタイムリリースという言葉に集約していく。タイムリリースは隠されたキャラが徐々に解禁されるコンピュータゲームの用語だったが、サプリメント等に用いられていた。先に溶け出す顆粒が効果を発揮、時間差で後に溶ける顆粒が効き目を持続。3年半ほどの開発期間を経て、タイムリリーステクノロジーの頭文字をとったルルアッタックTRの発売は、18年8月だった。
――一般用医薬品の研究・開発を担うためにこの会社に入社したはずなのに、専門分野以外のことをずいぶん経験されましたね。
「はい、マーケティングにかかわったことは新鮮でした」
マーケティングだけではない。会社員として彼の興味は加速し、薬の研究・開発とはまったく異なる仕事を担うようになるのだが、そのいきさつは後編で。
取材・文/根岸康雄
http://根岸康雄.yokohama