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多摩動物公園のベテラン獣医・田坂清さん「動物が生きようと必死に頑張っている時は何とかして助けてあげたい」

2020.04.19

前編はこちら

開園61周年を迎えた多摩動物公園は上野動物園の約4倍の広さで、園内の各動物の展示舎を見て回ると、ハイキングのような気分になる。この企画は動物園で動物のお世話をするスタッフを紹介している。

第19回目は田坂清獣医(63)である。主に上野動物園と多摩動物園の動物病院で、30数年獣医師を務めた。定年退職後の今も多摩動物公園で勤務している。以前、若手の獣医の話を紹介したが、長年動物園の動物を診てきたベテランのエピソードは、また含蓄がある。

類人猿はそれぞれ性格が異なる。チンパンジーは陽気で行動的、ゴリラは見かけによらずシャイ。そしてオランウータンはじっくり考え行動し、人の動きをよく見ている。

以前、治療を施したことから、そんな賢いオランウータンに嫌われてしまった田坂獣医。だが、再び麻酔をかけ、診察しなければならない事態となった。相手はクレヨンで絵を描くことでも知られた名物オランウータンのモリーだ。

「自分の身は自分で守れ」

モリーは田坂獣医の姿を見ると、興奮状態に陥る。それを改善しなければならない。そこで彼は鈴をつけて何度もモリーに近づいた。それを繰り返すとモリーは鈴の音がすると、田坂獣医がいることを認識する。常に笑顔で接し、モリーの警戒感を解いていくことも忘れない。 

鈴の音の認識と、獣医への警戒感の薄れが見て取れるようになったある日、田坂獣医は鈴を付けず、モリーに気づかれないようそっと接近。同僚の獣医がモリーの気を引いている時に、吹き矢でプッと麻酔を放った。麻酔薬の入った注射器は、モリーの後脚の大腿部に命中する。

「どうしたんだ!?」田坂獣医は鈴を付け、意識がもうろうとするモリーの元に戻り、声をかけた。麻酔をしたのは自分ではないと、モリーに印象付けるためだ。

それぞれの類人猿は格子越しの飼育だが、「格子越しになじませる、日頃から馴致(じゅんち)をやって“いける”という感覚になったら、緊急の時の判断は任せる」と、先輩には言われていた。飼育員時代には産後のチンパンジーに立ち会った時、田坂獣医も“いける”と判断して檻の中に入って、世話をしたことがある。

これまで獣医の仕事でケガをしたことはないが、「自分の身は自分で守れ」それも先輩の言葉だ。ケガをしないためにはそれぞれの動物の武器をよく知っておくこと。そして各動物の個体の性格を知っておくことだ。それには、飼育動物を熟知している飼育員とのコミュニケーションが欠かせない。

麻酔投入には常に危険が付きまとう

動物の治療の際にも、飼育員との話し合いはもっとも重要だ。時には「様子を観ましょう」と、獣医から飼育員に提案する場合もある。

「捕まえるのは、野生動物にとって大変なストレスです。鳥なんかは捕まえる際に暴れて、もっとひどい骨折になってしまうケースもある。動物園という特殊な環境の中で安静にしていれば、治癒する動物も多いんです」

逆に「置いておきましょう」「様子を見ましょう」と、飼育員が言葉にすることも少なくない。飼育員の多くは麻酔が危険なことを知っている。時には麻酔が原因で死に至るケースもある。麻酔をかけて治療したほうがいいのか、そのまま置いたほうがいいのか、動物の状態を診て獣医は判断する。

「サイが展示舎の遊び用のタイヤに首を挟んでしまい、暴れている時に呼ばれたことがあります。暑い夏の時期でした」

飼育員をはじめ、周りは落ち着くまでしばらく待とうという雰囲気だった。だが「暑い中、このままほっておいたら肺充血をおこす。死んだら後悔するよ」田坂獣医は麻酔して、今すぐタイヤを取り除くことを強く主張した。

サイの後ろ太ももにシリンジに入った麻酔薬を吹き矢で注射。徐々におとなしくなったサイの首に、工事現場で使うチェーンブロックをかけて釣り上げ、タイヤを抜いてことなきを得た。

「モウコノウマの時は、前脚が完全に骨折していることがわかりました。折れた骨が皮膚を突き破ってはいませんでしたが、中途半端に麻酔をかけるとモウコノウマが暴れて、脚を踏ん張り骨折した脚が悪化してしまう。一気にストーンと倒したかったので、麻酔の量を増やしたんです」

麻酔の量を増やすと死につながるリスクが増す。これまでの経験から田坂獣医は吹き矢を使い、致死に至らないギリギリの量をモウコノウマに投与した。この時は動物の死も覚悟したというがうまくいった。骨折したモウコノウマの前脚にギブスの装着することができた。

動物が生きようと頑張っているなら

時には失敗したかなと悩む時もあった。

若い獣医には手術の経験を積ませてあげたい。だが、犬や猫と違い動物園の動物は症例が少ない。今は吸入麻酔である程度、麻酔薬の量をコントロールできるが、以前は注射しかなかったし、大型の動物の手術には注射での麻酔薬投与は欠かせない。

例えば腸捻転を起こし苦しがるカンガルーに開腹手術を施すとする。麻酔の量が多いと死に至る。必要最小限の量を投与するのだが、少なすぎてもまずい。若い頃、手術中にライオンがムクッと立ち上がったことがある。その時は事無きを得たが、肝を冷やした。

「もう少しスピードをあげなさい」手術を任せた若手の獣医に、そばでそう指示することもある。 

「野生動物の手術は、スピードと確実さが何より重要なんです」手術は麻酔が切れるまでの時間との戦いだ。予想以上に時間がかかってしまい、最終的に動物を死なせてしまった苦い経験もある。

獣医師として30数年の間、常に生き物の死と向かい合ってきた。年老いたシフゾウというシカの仲間の大型の動物は、口の中に骨肉腫ができて助からない。でも腫瘍を切除してやると、エサを少し食べることができた。肉腫を液体窒素で焼ききったり、いろんな治療を試みた。「自然界なら助からないけど、人間が治療することで少しでも長く生きられる。それでいい」そんな飼育員の言葉が、田坂獣医の脳裏に残っている。

大型動物が倒れた時は、もうダメだと言われている。年老いて寝たきりになったサイの飼育員は、「生きているうちはやれるだけのことをやりたい」と、田坂獣医に語った。栄養のある麦をエサに与えたり、イモを蒸して団子にして与えたり、飼育員は懸命にサイの世話をした。

そんなある日のことである。サイが立ち上がったのだ。信じられなかった。自分の脚で立った、年老いたサイを目にした時は嬉しかったと、彼は振り返る。

「動物が生きようとしているかどうかです。その動物が生きようと頑張っている時は、何がなんでも助けてあげたい」

そう語るベテラン獣医の言葉には、力強さがあった。

取材・文/根岸康雄
http://根岸康雄.yokohama

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