DB5 Vantage
1964年にDB5が発表されたとき、当然のことながら、高性能モデルのVantageバージョンもすぐに登場すると思われた。
しかし、意外なことに、オプションのVantageエンジンを搭載したDB5サルーンの生産台数は、887台のうちわずかに68台に留まった。
Vantageバージョンは、ウェーバー製トリプルキャブレターを採用し、標準バージョンよりも40bhp高い325bhpの最高出力を発生した、4.0リッター・エンジンを搭載していた。
Vantageエンジンを搭載したDB5コンバーチブルはさらに希少なモデルとなっており、製造された123台のうち、わずか8台に過ぎない。
その後、数多くの標準バージョンがVantageバージョンに改造されたなかで、DB5 VantageおよびDB5 Vantageコンバーチブルのオリジナル車はきわめて希少な存在となっている。
1965年のジュネーブモーターショーで世界のメディアに向けて発表されたプレスリリースでは、DB5 Vantageの魅力を簡潔かつ控えめに次のように表現している。
「さらなるパワーにより、強烈な加速とより高い平均航続速度を実現しています。」
DB5 Vantageは、当時としては高価なクルマだった。パワーユニットのアップグレードには、車両代金とは別に158ポンド(消費税抜き)が必要で、1965年時点での価格は税込で4,439ポンド15シリング5ペンスに引き上げられた。
DB6 Vantage
DB6 Vantageは、DB5 Vantageの後継モデル。Mk IとMk IIバージョンが用意され、パワフルな先行モデルと同様、高い信頼性を確立したアップグレード方式が採用された。
DB5 Vantageと同様、エンジンは4.0リッター直列6気筒で、出力も同じ325bhp。DB5に初採用された、サイドストレーキのVantageエンブレムも踏襲された。このエンブレムは、小さいながらも重要な意味を持っていた。
オリジナルのVantageエンジンを搭載して送り出されたDB6の生産台数は何百台ではなく何十台の単位のため、その希少価値は極めて高く、世界中の幸運なオーナーによって注意深く保管されている。
DBS VantageおよびAM Vantage
DB4、DB5そしてDB6に至る一連の流れがアストンマーティンによるデザインの“進化”を物語るとすれば、1967年に登場したDBSは真の“革命”といえるモデル。
このクルマの角張った“モダン”な形状を生み出したのは、当時アストンマーティンに若手のインテリア・デザイナーとして在籍していたウィリアム・タウンズ氏。
このオリジナリティ溢れるボディに収まっていたのは、その当時の定番ユニット、タデック・マレックが手がけた6気筒3,995ccエンジンで、DB6と同様に標準バージョンとVantageバージョンが設定されていた。
当初の計画では、新開発のV8エンジンを搭載する予定だったが、このモデルの登場には間に合わなかった。
DBSの増加した重量に対応するため、Vantageバージョンはカムシャフトの設計を見直し、パフォーマンスを向上させた。
1972年4月、それまでの4灯式ではなく2灯式のヘッドライトを備えた新バージョンのDBSが登場。このモデルは、AM Vantageと名付けられ、70台が製造された。
興味深いことに、このクルマは、過去のVantageの血統に反し、そのラインナップにおいて最もパフォーマンスの低いバージョンだった。