■連載/あるあるビジネス処方箋
最近、大学病院心療内科医の医師を取材した際に考え込むことがあったので、今回はそれについて紹介したい。フリーランスになって以降、約15年間で90人~110人の編集者や数百人の取材相手と仕事をしてきたが、深い話し合いができないと確信した人が数人いる。この人たちはふだんは極めて冷静だが、自分の考えや意見が少しでも否定されると、興奮する。時に怒鳴ったりして、取り乱す。脅迫に近い物言いをする人もいる。あまりの変わりように、ただ驚くばかりだ。
この人たちの言動について、前述の医師に相談をすると、「面識がないから断言はできない」と前置きしながらも、ある疾患の疑いがありうると指摘していた。疾患名をここで書くことは控えるが、医師から症状を聞くと、前述の数人は多くの点で該当しているので、怖くなってきたほどだ。ただし、これは医師の見立てでしかなく、診療をしたうえでの判断ではない。あらかじめご理解いただきたい。
医師は、こうも話していた。「そのような人と仕事について意見が分かれたときに話し合い、分かち合おうと思っても、もしかすると難しいのかもしれない。おそらく自分が常に正しいと信じ込んでいるから、あなたが誠意をもって話し合いをしても、妥協点を探ることはなかなかできないだろう。トラブルや事件にならないようにするためには、その人から離れることも、1つの対処法と言えるのではないか。それが、実は相手のためにもなるように思う」
つまりは、無理して分かち合うのではなく、状況いかんでは、そっと離れることを意味しているのだろう。この捉え方には、賛否両論があるのかもしれない。私は経験論をもとに言えば、この医師の助言は現実的であり、説得力のあるものだと思った。今回は、仕事について話し合うときに意見が異なった場合、その場では波風を立たせないようにして押しだまり、タイミングを見計らい、離れたほうがいいケースを私が見聞きした事例をもとに考えたい。
常に自分の考えや意見を正当化する
このような人は、自分の考えや意見が「唯一絶対」と信じ込むタイプに多い。明らかに事実誤認や判断ミス、誤りであっても、様々な理由をつけて言い訳をして「正しい」と主張する。その人の成果物(作品など)を見せてもらうと、明らかに経験不足により、理解が足りない場合がある。相手を否定し、自分がいかなる時も「正しい」と話をもっていく割には仕事力に難があり、こちらとしては失望することが多い。自分の考えを押し通すために話を誇張していたり、大幅に加工する場合もある。上司に嘘の報告をする場合すらある。ここまでくるともはや、ビジネスをする相手ではないだろう。
そもそも、「常に自分が正しい」と言い張るならば、その人が1人で話していればいいのではないだろうか。おそらく、会社の「仕事」の意味を、つまり、協働の言葉を根本から理解していないのだと私は思う。「常に自分が正しい」と主張する人は、相手を意のままに動かそうとする傾向が強い。常に相手をコントロールし、「支配、被支配」の関係で捉えようとする。よりよき成果を出すために協力する意欲に乏しい。「協力」はあくまで自分中心の態勢をつくり、それを維持するためのものと考えているフシがある。
世間の1つの価値観として、他人と意見が異なったときには話し合いを繰り返し、合意形成に至るのをよしとするものがある。確かにその姿勢は尊い、と私も思う。しかし、何をどのようにしても、不可能な人もいるのだ。その時、どちらがいい、悪いなどと議論をするのではなく、そっと離れることも1つの価値観なのではないだろうか。相手に理解してもらおうと必要以上に媚びたり、不満や怒りを表さないように無理にこらえるのは好ましいとは思えない。精神的なストレスを抱え込み、心身の大きな負担になる可能性がある。
今まで新聞やテレビ、ニュースサイトなどのメディアでは、こういうことが堂々と言えない雰囲気や空気があったように私には見える。「良好な人間関係」「協調性」「チームワーク」といった言葉に必要以上に感化され、「分かち合おう」と心や意識、考え方までを犠牲にして相手に合わせようとする風土や文化が企業社会には今なお浸透している。もちろん、理解し合う姿勢は忘れずに持ちたい。しかし、それができない場合があることも心得ておきたい。果たして、自分の正当性をひたすら主張する人と深く話し合う必要があるのか否か。これを機にあらためて考えてみたい。
さらに振り返りたい。あなたは、自分の正当性を主張する人に事実を捻じ曲げられたりして非や罪を認めるように仕向けられなかっただろうか。反論をすれば、暴力的な言動で脅されたり、抑え込まれなかっただろうか。それであなたは、「自分が間違いだった」などと受け止めていないか。おそらく、そんなことはないと私は思う。この人たちは、自分を正当化する技術を身に着けているのだ。その罠にはまってはいけない。私が読者諸氏に助言をするならば、会社員人生の間にこういう人と巡り合う場合があるのかもしれない。その時にどうか、思い出してほしい。かけがえのない自分の精神や意識、考え方、生き方を守り抜くためにも。
文/吉田典史