気になる”あの仕事”に就く人に、仕事の裏側について聞く連載企画。第2回は、横浜DeNAベイスターズで、英語圏の選手の通訳を担当している飯澤龍太さん。通訳の姿を眼にするのは、入団会見かヒーローインタビューの対応中。しかし、それらは業務のほんの一部だという。家族よりも長い時間を共にし、メンタルケア、物件探し、妊婦検診の付き添いまで行う、通訳の仕事とは。
先生になりたかった
野球の通訳の仕事について初めて興味を持ったのは、大学生の時。当時、教師を目指し、オーストラリアのブリスベンにある大学に通っていました。子供の頃から野球が大好きで、小中と野球部に所属していました。オーストラリアでは、野球はマイナースポーツ。大学に野球ができる環境がなく、友人たちと野球部を作ってしまったほど、野球はいつも生活の中心にありました。
2010年、オーストラリアでウィンターリーグが発足され、ブリスベンのチームにも日本から選手が派遣されました。当時、球場内にある日本食店でアルバイトをしていたこともあり、選手と話す機会が多くありました。親しくなった選手から、「お前みたいなのが通訳になったらいいよ!」と、言われたことが、通訳の仕事を意識するようになったきっかけです。
「通訳になったらいい」その言葉がずっと残っていた
大学卒業後は、2年間ブラジルで日本語学校の教師を務め、2015年7月に帰国しました。地元の仙台で就職活動を始めましたが、どこの会社を受けても、「なぜうちの会社に入りたいの?」という質問にうまく答えることができませんでした。ブリスベンで言われた「通訳になったらいい」という言葉が自分の中に残っていることに気づき、通訳を目指す決心をしました。
その年の秋、ベイスターズで通訳の公募があり、早速履歴書を送りました。書類審査を通過した後は、遠隔地に居住していたこともありスカイプでの面接を経て、最終面接へと進むことができました。横浜スタジアムのある関内駅を降りた瞬間、電車の発車音としてベイスターズの応援歌が聞こえてきて、すごくワクワクしたのを覚えています。しかし、面接はというと、人事担当者をはじめ、さまざまな方と面接を行いました。社長との面接時にはもう集中力が切れ、ヘトヘトになっていたため、「今日の面接は保留で。」と言われた時は、落ちたと覚悟しましたが、後日改めて面接を受け、無事採用してもらえることになりました。2016年1月4日、遂に横浜DeNAベイスターズの通訳としての仕事が始まりました。
広い球場が静まり返った。ヒーローインタビューでの失敗
私が担当したのは、英語圏の選手。入社当時は、モスコーソ、ペトリック、ロマック、ロペス、エレラを通訳3人で入れ替わりながら担当しました。来日してきた選手を空港へ迎えに行き、初対面ながら、そのまま報道関係者の囲み取材の対応をしました。すぐにネットでその取材中の会話が取り上げられ、「これ、俺が通訳したやつだ!」と、通訳になったことを改めて実感しました。
普段はあまり緊張する方ではないのですが、大きな失敗をしたことがあります。ヒーローインタビューの対応中、頭が真っ白になってしまい、言葉が出ず、止まってしまったんです。観客も鎮まり返り、広い球場がシーンとしてしまいました。他にも、選手が話している内容を聞きながら、同時に日本語に訳すので、最初の方に話していた言葉が抜け落ちていたり、後から「こう言えばよかった」と思ったことは何度もあります。通訳4年目の今、気をつけているのは、通訳が伝言係にならないようにすることです。コーチや選手から「こう言っといて」と言われることがありますが、温度感や表情など、その場にいなければ真意が伝わらないことがあります。例え言葉が通じなくても、当事者にはその場にいてもらうようにしています。