■連載/あるあるビジネス処方箋
他人を不幸にして、その代わりに自分が幸福になる−−。自らが努力して成功を勝ち取るならば、何ら問題はない。このタイプは人を攻撃し、否定し、へこませることで意気消沈とさせ、その姿を見ることで自分を勇気づけるから、深刻なのだ。
例えば、私の会社員の頃の上司でいえば、部下のささいなミスを針小棒大に騒ぎ、「大きなミス」とする人がいた。そして、自分がいかに優位であるかを部員に示そうとする。ところが、自らの能力は高くはない。
このタイプは、取引先にもいないだろうか。相手に何かを指摘することで、経験豊富なエキスパートであろうとする。しかし、その域には達しておらず、ビギナーと大差ない。その未熟さをカモフラージュするために、相手を否定する。
今回は、相手をへこませたり、否定することで自分を優位に立たせようとする上司や取引先などが現れたときの対処法を紹介したい。
まずは、いかなる場合も媚びないことだ。ご機嫌をとると、ドツボにはまる。このタイプは、キャリアや仕事の実績、学歴など何らかの面で深刻な劣等感を持っている傾向がある。その憂さを晴らすために、不満をぶちまける相手を探している。努力して苦境から抜け出す力がなく、他人をいじることでしか、劣等感を克服することができない。だからこそ、こびると「いい獲物」を見つけたと思い、攻撃を仕掛ける。
このタイプは自分にしか関心がないから、相手の真意を見ぬくことができない。こびると、「なんでもいいなりになる」と思い込む。相手の心を見るような余裕はないのだ。
例えば、小中学生でいじめをする児童・生徒は、ターゲットにした子を執拗にバカにする。時には、殴る、蹴る場合もある。いじめをする児童、生徒の家庭は様々な意味で問題を抱え込んでいたりする場合が多い。本来は、教師がいじめをする側を相当に厳しく叱り、その後も監視するべきだ。ところが、報道によると、いじめに加担する教師もいるという。
残念だが、この場合はいじめを受けた本人や親がその児童や生徒、教師に反撃をしておくべきだろう。その後は、多少はいじめに歯止めがかかるのではないだろうか。私の経験論でもある。完全に止めることはできなくとも、弱くはなる。弱くならないならば、また、反撃をするべきだ。
会社員も、同じことがいえる。上司があなたをしつこくいじってくるならば、皆の前で「それはどういう意味ですか?」「指示がころころと変わっていますが…」と言い返そう。上司は不愉快に思うだろうし、激高するのかもしれない。だが、私の会社員の頃の経験をもとにいえば、部下の顔色をうかがうようになる。人事評価は最低のランクになるが…。私は「協調性がない」などと評価の欄に書かれてあったが、あの上司に協調する思いはみじんもなかった。従って、極めて正しい評価だと思う。
学校でも会社でも、いじめをする側は明確な論理があるからしているのではない。憂さを晴らすきっかけや口実が欲しくて仕方がないだけなのだ。だから、自分に問題があったのではないか、と絶対に振り返ってはいけない。ひるむことなく、毅然たる態度で反論をしよう。
自分が進んでいく方向を見失わないほうにすることも大切だ。例えば、部下をいじる上司はスキのある部下を狙う。例えば、遅刻が多い、交通費の清算が遅いなどである。一方で仕事の込み入ったところに介入し、いじるケースは少ないのではいだろうか。このタイプは仕事ができないから、「込み入ったところ」がわからないのだ。
もともと、同世代と比べて昇格が遅かったりして、何らかのトラウムがある。だから、劣等感が強い。その負い目を隠すために、偉そうにふるまう。自信がないからこそ、職場の多くが納得してくれそうなもの、例えば、遅刻や清算の遅れを持ち出す。それで、皆から「暗黙の了解」を取り付けたと思い、自分の後ろ盾にしようとする。
部下としては、このようなタイプの上司の言動のナーバスにならないことが必要になる。そのためには、自分が進んでいく方向を可能な限り、明確にしておきたい。例えば、「この会社は3年以内に辞めて、あの会社の中途採用試験を経て入社しよう」というものだ。こういう思いがあると、自然と上司にも強く出ることができるようになる。私は30代の頃、「40歳までに辞めて、物書きになり、ひとりで生き抜こう」と考えていた。当時の上司とは数えきれないほどにぶつかったが、振り返ると、笑えることが多い。部下を不幸にして、自分が幸福になろうとするなんて甘すぎるではないか。相手が誰であれ、厳しく反撃することは時には必要なのだと私は思う。それで縁が切れるならば、それまでの関係だったのだ。
文/吉田典史