命とは医療とは何か
「賀嶋先生は呼吸器内科が合っているよ」研修医の時に、そんな言葉をかけられたのは呼吸器内科の先生でした。研修医は上の先生と違って時間があるので、私は呼吸器内科の病棟を訪れ、患者さんとよくお話をしました。「先生にしか言えないんだけど」と、接してくれた患者さんもいまして。
「ここは患者とのコミュニケーションが大事な科だ。キミは患者の話を聞くのが上手だから、呼吸器内科にしたらどう?」と。呼吸器内科は肺ガンやゼンソク、肺気腫や肺炎等、完治しにくい患者さんが多い。患者さんのお話にじっくりと耳を傾けることも、苦痛を和らげるための医者の役割の一つです。
末期の肺ガンの患者さんの苦しむ姿を診るのは辛いですが、指導の先生がモルヒネの薬を投与することで、呼吸が楽になり最期は安らかに亡くなられる。「有難うございます」とご家族に感謝されたり、薬を調整することで苦しさを取り除けることも実感しました。
研修医として現場に立つと、命とは医療とは何か、考えさせられます。救急科にいた時に、85才の患者さんが救急車で運ばれてきて。心配停止状態でしたが、延命処置をしないと事前に決めている人は別として、医者は命を助けるために最善を尽くします。全身に血液を送る胸骨圧迫等の処置で、心臓は復活し人工呼吸器を装着しましたが、酸素が滞った脳は低酸素血症で脳死状態。
「賀嶋、この患者の全身管理をやってくれ」と、指導の先生に任されたのですが。夜間に患者さんが急変して、サチュエーションモニターの数値が下がった。人工呼吸器を付けているのに酸素量が減っている。
このままでは命に関わる。どうしよう……、新米医師の私は、焦ってしまい指導の先生に電話をしてしまった。
「まず、よく考えてみて」そんなアドバイスに、冷静になって一つ一つ考えてみると。
なんだ、タン詰まりでした。気管を圧迫していたタンを吸引すると状態は安定して。焦ってしまい、こんな簡単な処置もわからなくなった自分が、当時はショックでした。
この患者さんは慢性期の病院に転院したのですが、重症の肺炎や末期の肺ガンの患者さんの多くは、やがて人工呼吸器が必要となります。
今の私は「意識がなく、たくさんの管に繋がれた状態になります。それでいいですか」、そうご家族にお訊きします。ご家族が悩んでいたら、「私の家族でしたら、そういう治療はやりません」としっかり伝える。患者さん本人と家族の幸せを考えた上での言葉です。
これも平塚市の総合病院で研修医して救急科にいた時のことです。バイク事故を起こした十代の男の子が、救急車で運ばれてきた。処置室にきた時は「痛いよぉ!!」と訴えていたし、心臓も動いていた。
ところが少しすると突然、心臓が止まってしまった。お腹の中の血管が切れていた、出血性ショックでした。
胸骨圧迫や輸血等で心臓は動き出したが、脳死状態。事態は臓器移植へと展開していくのだが、その詳細は後編で。
取材・文/根岸康雄
http://根岸康雄.yokohama