「約束」に意味はあるのか?
これは確かに、やる気を起こすためのマネジメントと言えるのかもしれない。だが、役員をはじめ、出版社の経営に関わる人たちはあまりにも甘い考えなのではないか、と私は思った。そもそも、50代になり、仕事の深い会話ができない編集者を20代の社員の倍近い賃金で雇うことにこそ、問題の真相がある。ここにメスを入れることなく、「約束」などしたところで何ら意味がないのではないだろうか。
実際のところ、男性編集者は昨年暮れまで私の前では特に悪びれたものもなく、恥じらいもなく、マイペースで仕事をしているようだった。電話でもメールでも、ほかの編集者の約5倍の時間やエネルギーが必要になるほどに意思疎通は苦しいものだった。お酒が好きなようで、ほぼ毎日午後7時には退社し、新宿、恵比寿、目黒、品川の酒場に通うのだという。2日酔いの日以外は、元気はつらつとしていた。悩みなど一切ないようで、心底、うらやましく思った。
私が今年1月、彼の周囲にいる編集者などから聞いた限りでは、30年以上も前から、つまり、20代の頃から出世コースから完ぺきに外れていたようだ。40代になっても非管理職のままで、50代半ばになり、今もなお、管理職になることができると信じ込んでいるのだという。その意味で、社内では「伝説の人」のようだ。出版社の役員たちが、このような人とかわす「約束」に何の意味があるのだろうとあらためて思った。こういう編集者と1年間、3冊もの仕事をした私も「伝説の人」なのかもしれない。
最後に、これも書き添えておきたい。私の取材の範囲の限りではあるが、40~50代になって仕事が半端じゃなくできない会社員は、20代の頃にすでにひどいレベルが多い。つまり、会社は10~20年もこの人たちを雇い続けているのだ。こういうことは不思議と新聞や雑誌、ウェブのニュースサイトでは公にならない。読者諸氏は、何を感じるだろう。
文/吉田典史