■あなたの知らない若手社員のホンネ~ 東京都交通局/石井竜大さん(28才、入社3年目)~
中間管理職は部下との円滑な人間関係のために、20代の社員は同世代がどんな仕事に奮闘しているか、「若手社員のホンネ」は興味があるところだろう。これまでバライティーに富んだ職種に従事する若手社員を紹介してきたが、今回は東京に唯一残る都電荒川線の運転士を紹介する。
シリーズ45回、東京都交通局 電車部 荒川電車営業所 東京さくらトラム(都電荒川線)運転手 石井竜大さん(28・入局3年目)である。
最盛期の1955年には営業キロ約213kmにわたって都内23区を中心に40の運転系統を擁していた都電、現在は荒川線だけが残っている。三ノ輪橋〜早稲田間(12.2km・30停留場)を約1時間かけて運行する。利用客は約4万7000人、沿線住民はもちろん、外国人を含め多くの観光客が乗車する。
無人化が進むAIの時代、都電は昔と変わらぬ究極のアナログ公共交通機関である。石井さんはどんな経緯で、なぜ都電の運転手になったのだろうか。
アナログな都電は運転手の注意力が何より重要
電車が好きです。特に走っている時の音がいい。小さい頃から電車の運転士になるのが夢でした。中学、高校と王子駅に近い学校に通っていたので、都電は身近な乗り物でした。
学生時代の就活では、いろんな鉄道会社を受験して、JR北海道に採用されました。室蘭線の洞爺駅の駅員に配属されたのですが、冬の駅の勤務は辛かったですね。休みでも雪が降る日は駅に行って雪かきをして。いずれ車掌に志願し運転手になって、ディーゼル特急の運転手もいい。北海道新幹線の運転手もやってみたいと思っていましたが――。
当時、東京にいた今の妻と付き合っていて、両親も東京にいる。年を重ねると東京に戻りづらくなるし、転職するなら今の時期だと。ネットには都営地下鉄の採用もありましたが、景色が見られる地上勤務で運転手の職はないか。そんな時に都電の運転手採用をネットの検索で知りました。16年10月に仮採用が決まり、3年半務めたJR北海道から都電の運転手に転職したんです。
まず研修所に通って運転の法規や鉄道の知識等の座学を2ヶ月間勉強して、次に僕の師匠になる先輩と、マンツーマンで都電の運転を教わりました。
40代の師匠はいつもニコニコしている優しい人です。まずは師匠の運転を運転席の横で見て学ぶ。技能試験に合格後、乙種動力車操縦者免許という路面電車を運転できる免許を取得。荒川車庫の構内で初めて都電を自分で動かした時は、子供の頃からの夢でしたから感動しました。徐々に空いている時間帯に、都電の運転をやらせてもらって。
左手で自動車のアクセルペダルに当たるノッチを、右手でブレーキを握り、運転中はこの二つを放してはいけない。左手のノッチを動かし加速して、右手のブレーキを操作して減速する。運転中はずっと速度調整をしているわけです。
保安装置みたいなものはほぼありません。交差点や踏切では目視で安全確認する。前の車両が100m以下に迫ったら時速15km以下まで減速、10m以上手前で一旦停止。これらの判断もすべて運転手の注意力に委ねられています。都電はアナログです。