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【海外で輝く人】コネなし英語力なし経験なし!サーファーが年商2億円の「オーストラリアで一番焼きそばを売る男」になるまで

2018.11.23

ビジネスの世界は甘くない

マーケット初出店の朝、克洋は楽しみで仕方なかった。「どれくらい売れるかな。めちゃめちゃ売れるかな。」あのハンバーガ屋と同じように行列ができ、20万円は軽く売れると信じていた。しかし、ビジネスの世界はそう甘くはなかった。初日の売り上げは5万円ほどだった。「まじか…。」克洋は愕然とした。正直なところ、焼きそば屋を始めようと思ったのも、「週1回の出店で生活費を稼いで、その他の日はサーフィン三昧だ。」という軽い気持ちだった。思わぬ挫折を味わい、火がついた。日本で馬車馬のように働き、嫌になったビジネスの世界に戻ろうと決めたのだ。

克洋はまず味の見直しをすることにした。最初はソース味の焼きそばにかつお節と紅しょうがをトッピングしたオーソドックスな日本のザ・焼きそばだった。しかし、これはオーストラリア人の舌には合わないのではと考えた。少し甘めのソースに変え、チーズやビーフのミンチをトッピングした。味の改良を重ね、半年ほどでリピーターが増え、売り上げは、3倍ほどになった。しかし、克洋の店で焼きそばを買ってくれるのは、同じようにマーケットで出店している人がほとんどだった。マーケットに来る客の多くは、毎週同じ店で買い物をする。どこで何を買うかが決まっているため、他の店で冒険することが少ないのだ。一度食べたら気にいってもらえる自信があったので、興味を持ってもらうための施策を考えた。食欲をそそるよう、焼きそばを焼く音や匂いを出してみたり、お店の外観やユニフォームもおしゃれなデザインに変えた。2年近くかかり、やっと新規客が増え、売上も伸び始めた。そこで他の地域のマーケットにも出店することにした。すると、やはり新規客がほとんど来ず、思うような売上が出せなかった。克洋はまた壁にぶつかった。

ある日仕事仲間から、1日限りのイベントに出店してみたらどうかと勧められた。毎週開催されているマーケットとは違い、1日限りのイベントは、ほとんどが初めて来る客なのでチャンスがあるかもしれない。克洋は早速イベントに出店することにした。すると、その読みは的中。初めて出店したイベントでは1日に20万円を売り上げた。そこで、英語のできる日本人を1人雇い、各地のイベントに片っ端から営業をかけた。中心地の大きなイベントは人気があり、実績のない克洋のお店は受け入れてもらえず、最初は地方のイベントばかりを回った。地方のイベント出店の際は、克洋自ら車を運転し、4時間も5時間もかけて現地に向かった。到着してすぐに出店の準備。一日中店に立ち接客。店の撤退をし、また家に戻る。ほとんど寝ずに、また朝からマーケットに出店。そんな日も少なくなかった。アルバイトを雇う余裕はなく、イベントが重なった日は、農場で出会った妻が店に立ってくれた。地方のイベントは移動時間もガソリン代もかかるにもかかわらず、全く売れないことが多々あった。睡眠も十分に取れていない状態で、肩を落としそうになったが、克洋は決してやめなかった。とにかく出店できるイベントがあれば、オーストラリア中どこへでも行き、売れるイベントと売れないイベントのデータを増やしていった

年商2億円、オーストラリア一焼きそばを売る男に

少しづつイベント側からのオファーも増えだした頃、克洋にはどうしても出店したいイベントがあった。V8 Supercars Gold Coast 600という大きなレースイベントだ。ここに出店できれば、売上もかなり上がるし、何より大きな実績になる。早速営業をかけると、後日「その焼きそばを一度食べさせてくれ。」と担当者から連絡が来た。当時は、克洋の会社にはオフィスがなく、自宅のキッチンで焼きそばを作り、食べてもらった。担当者は焼きそばを一口食べて顔をあげた。「ものすごくおいしい!!」焼きそばをいくつか持たせたところ、その同僚も同じように大絶賛したと言う。こうして、晴れてインディカーレースでの出店が決まった。予想通り、イベントで焼きそばは売れに売れた。インディカーレースに出店した実績ができたおかげで、学園祭や音楽フェスからも出店のオファーが来た。その頃ゴールドコーストとブリスベンのナイトマーケットに毎週出店するようになり、コンスタントに収入も入るようになった。

焼きそば屋を始めて5年目、さらなる転機が訪れた。ナイトヌードルマーケットというアジアンフードフェスティバルに参加することになった。克洋の店は1、2を争うほどの人気店となり、3週間のイベントに出店すると、2000万〜3000万円ほどの売上になった。現在は年間契約を結んでおり、克洋の会社の大きな収入源の1つとなっている。ようやくビジネスとして成り立つようになり、克洋は「オーストラリアで1番焼きそばを売っている!」と自信を持てるようになっていた。お好み焼きソースでおなじみのオタフクソースから「オリジナルソースを作らせて欲しい」と、オファーが来るほどだった。数年前からオタフクソースと共同で、ソースの改良をしながら、うまみ調味料不使用など、添加物の削減にも取り組んでいる。

現在、TEPPANYAKI NOODLESはブリスベンとゴールドコーストをメインにオーストラリア全土のマーケットやイベントに出店をしている。今後は克洋がオーガナイザーとなり日本食を広めるイベントを開催する予定だ。克洋と同じように日本料理店を経営する同業者にチャンスの場をつくりたいと考えている。日本の大手企業とのタイアップの話も進んでいる。

克洋がオーストラリアに来て10年。NoとThank youしか言えなかった男は今、年商2億円を超える飲食店経営者だ。起業当初は、多くの人が、「絶対にうまくいかない」と言った。何が彼を成功へと導いたのか。「ただただ真面目にコツコツやってきた。最初の3年は特に大変だった。ほとんど寝ずに働いたし、泥臭いことばかりやってきた。国や環境は関係なく、信念を持って努力すれば報われる。」日に焼けた腕で3歳の子供を抱きながら克洋は笑った。マーケットのオーナーを紹介してくれたシェアメイト、実績もない頃から協力してくれた卸売業者、将来が見えない中支えてくれた妻、いつも明るく働いてくれる従業員、その他数え切れない人々の支えで今の克洋がある。「止まったら、衰退する一方。走り続けなきゃいけないし、走り続けたい。」彼はこれからも新しい扉を開くために走り続ける。

【取材協力】

村松克洋
1981年生まれ。静岡県で生まれ育つ。経営コンサルタントの仕事を経て2008年オーストラリアに移住。2009年「TEPPANYAKI NOODLES」設立。2017年「静岡油そば本舗」を静岡県内に2店舗経営。
https://www.instagram.com/teppanyakinoodles/

文/岡のぞみ
起業・PRコンサルタント。大手企業での1500件以上のPR経験を活かし、女性の起業やPRをサポートしている。

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