この編集者と私がかつて仕えた上司は似ている。一言でいえば、処理能力が怖くなるほどに低いのだ。この場合の処理能力とは、たとえば、会議の議事録を時間内で書いたり、会議のやりとりを正確に理解するような力を意味する。あるいは、時間内で出張の準備を終え、出張先から簡潔でわかりやすい報告をして、戻ってくると報告書などを素早く書き上げ、交通費や仮払いなどを清算する力である。これらは大多数の人ができることであるがゆえに、時間内で確実にできないとやはり、目立つ。しかも、40代になってできないと、ますます際立つ。
処理能力の根幹を成すのが、基礎学力である。特に小中学校の国語の学習領域である「話すこと・聞くこと」「書くこと」「読むこと」が弱い。この編集者も上司も、一応は有名私立大学を卒業している。18歳~22歳までくらいは最低限度のレベルは確実にクリアしていたはずだ。だが、社会人になった後、「話すこと・聞くこと」「書くこと」「読むこと」を自分の仕事に結びつけてバージョンアップさせることを怠った可能性が高い。この「自分の仕事に結びつけてバージョンアップ」が大事なのだ。
漠然と「話すこと・聞くこと」「書くこと」「読むこと」だけならば、たとえば、大学教授などはおそらく、会社員などに比べると相対的にレベルが高いだろう。しかし、個々の会社や部署、日々の仕事に関して「話すこと・聞くこと」「書くこと」「読むこと」の力ならば、会社員がはるかに優れているはずである。
私は、英語力などよりも、処理能力のほうが間違いなく大事であり、その人の武器になると思う。逆にいえば、この能力が抜群に低いと、この編集者や私がかつて仕えた上司になりかねあい。処理能力が低いと、ふだんのやりとりも難しい。
なかなか、会話ができないのだ。メールを送っても、要領を得ない返信が来る。
一定レベルの質以上の意思疎通がスムーズにできない。こちらからすると、たまらなく「息苦しい相手」なのだ。
今回の仕事で「そんなことは聞いていない」と久しぶりに聞いて、かつてのことを思い起こすことがあった。読者諸氏はぜひ、このような人にならないでほしい。ところで、彼は「そんなことは聞いていない」と本気に言っていたのだろうか。
文/吉田典史