◎常に明るく前向きに仕事は楽しく!
稲盛 3万2000人の社員全員がフィロソフィを実行しようと意識改革できたのは、JALが倒産したという現実が大きかったと思います。「もし、フィロソフィなんかで経営再建ができるものかと疑っているのなら、2次破綻しますよ」という私の言葉に、倒産した時の気持ち、死の淵を覗いて背筋が寒くなった記憶が甦った社員たちは、這い上がっていくためには、このフィロソフィという蔓に一縷の望みをかけて登っていかざるをえなかったのです。
??JAL社員の意識改革は、今の日本のビジネスパーソンひとりひとりに必要なことなのかもしれません。
稲盛 誰でも、運命を辿っていく中で試練に出会います。あなただけではありません。大学を出て、希望の会社に採用されず、給料の遅配があたりまえのボロ会社にしか就職できなかった私がそうでした。JALの社員もそうでした。倒産という試練に遭った時、彼らは意識を改め、必死に仕事に勤しみました。その結果が、今のJALです。だから、今目の前にある仕事に必死で打ち込んでみてください。そのためにも、創意工夫をして、どんなにつらいことがあっても不平不満を口に出すのではなく、常に明るく前向きに、つまり、「仕事は楽しく」やってください。
■稲盛和夫 年譜
1932 鹿児島県鹿児島市に生まれる
1944 鹿児島第一中等学校を受験するが失敗し、尋常高等小学校に入学
1945 結核に罹患
空襲により実家を焼失する
1951 鹿児島大学工学部応用化学科に入学
1955 鹿児島大学を卒業後、京都の碍子製造会社、松風工業に入社
ニューセラミックスの研究に携わる
1958 松風工業を退社
1959 京都セラミック株式会社を創業
1961 高卒社員の団体交渉を機に経営理念を確立
1966 京都セラミック社長に就任
1971 京都セラミック、大阪証券取引所第二部、京都証券取引所に株式上場
1982 社名を「京セラ株式会社」とする
1983 若手経営者のための勉強会、盛友塾(現・盛和塾)が発足
1984 私財を投じて稲盛財団を設立
第二電電を設立、会長に就任
1986 京セラ会長に専任
1995 京都商工会議所会頭就任
1997 京セラ、第二電電の会長職を退き、取締役名誉会長に就任
臨済宗妙心寺派円福寺にて在家得度
2000 DDI、KDD、IDOが合併し、KDDIが発足
2001 KDDI最高顧問に就任
2003 盛和福祉会、稲盛福祉財団を設立
2005 鹿児島大学に「稲盛経営技術アカデミー(現・稲盛アカデミー)」を設立
2010 日本航空会長に就任
内閣特別顧問に就任
2012 日本航空名誉会長に就任
2013 日本航空取締役を退任(引き続き名誉会長)
JAL会長就任当初は、「晩節を汚す」とも言われた。