■大人はもう、何も言わなかった
転機が訪れたのは、小学校4年生の時だった。皮肉なことに、母から受けた愛情が、彼が悪の道に行くきっかけとなった。
「夏休み、何日か実家に帰らされた時です。母に『トーフ買ってきて』と小銭を渡されたんですね。ボクは母に何か頼まれることがうれしくてうれしくて、張り切ってチャリンコで出かけ、帰り道、転んだ」
お豆腐は砕け、その場で泣いた。記憶というのは不思議なもので、なぜか、ジャイアンツの帽子をかぶっていたことを覚えている。
「絶対殴られると思いました。でももうお金はないから、家に帰ったんです。そしてお豆腐を見せると――」
母は笑った。
「切らずにすむね、と言うんです。ボクは母の膝に思い切り抱きついて泣きました。いつしか、母も泣いていた。その時、ボクは初めて『親父を殺したい』と考えたんです」
施設に帰ると彼は、薄々知っていた、家に帰れる手段を実行した。まず、わりと好きだった勉強をやめた。勉強ができると、施設の手柄になるから、家に帰らせてもらえない。逆に、悪いことをすれば帰れるから、吸いたくもないタバコを盗んできて、施設の人間に怒られるとキレてケンカを売った。
石は、転がり始めれば速かった。家に帰ると父に刃物を向け、学校では、誰かを殴って力づくで言うことを聞かせるのが快感になってきた。シンナーを吸い、爆音が出るバイクを乗り回せば、もう、加藤につべこべ言う大人は誰もいなかった。