■お金も、時間も、愛も、健康もあれば何をやるだろう?
ただし、ひきこもるようにして過ごした約2年もの時間は、彼にとって、自分を見つめ直す貴重な時間となった。
「そもそも俺は、何のためにこの組織にいたのか?」
結局、人から受け入れてもらいたい、人に認められたい、という思いだけだった。その点では、普通の学生や会社員と何ら変わりなかった。いや、施設に入っていた幼児期から何も変わっておらず、入った組織が違っただけだった。裏社会にいても、結局は、自分の力で、仲間を幸せにすることが加藤の夢だった。
いったいなぜ、何のため、暴力が支配し、敵意と死が日常的な世界にいるのか――?
加藤は、考え続けた。
「すると自然と、仲間と距離を置くようになってきたんです。今、裏社会で自分の力は弱まっている。それで、ちょうどよかったじゃないか、と。今思えば、変わる時、最も大切なことは『手放すこと』だったのです」
現実は手放した瞬間、動き出す。捨てた瞬間から、目の前に起きる出来事の意味が全て変わっていく。そのためには、自分にとって一番大事なもの以外はすべて捨てる覚悟が必要だ。そして、一番大事なものを大事にしている人は、人生を狂わせたりしないだろう。
同時に、こうも考えた。
「愛情というのは、果たして他人から与えられるべきものなのか?」
自分は、恥ずべき人生を歩んできたつもりはなかった。だが、力、カネ、それに伴う権力を失うことや、現状を思うと、そこには恐怖しかなかった。なぜ、恥ずべきことはしていない自分が、恐怖と、飢餓感に苛まされているのか?
答えは、一つだった。
「自分と誰かの関係より、自分と自分の関係のほうが大切なんだ!」
自分が自分をどう思うかが問題で、他人からどう思われるかは問題ではない。他人はコントロールできないが、自分が自分を好きなら、それでいい。自分が、自分の歩むべき人生を歩めていればそれでいい!
そう思った瞬間、心がラクになった。
彼は「自分と世界の関係も同じだ」と考えた。本当の愛や幸福は、境遇や出来事などに左右されない。出来事に、色はない。それに色をつけるのは自分自身に他ならない。全ての現実は、内側の意識が投影されたものだ。今、目の前にある現実も全て、俺の意識がつくり出したものだ――。
「じゃあ『心の中で、本当にやりたいことって何なんだ?』と思ったんです。お金も、時間もあって、人に愛されていて、心身共に健康だったら、何をやるだろう? 現状はそうではないけれど、素直に、それをやればいい、と思ったんです」
加藤は、興味深いたとえをする。
「ワル時代の私は、言わば、残業したくねぇなぁ、と言いながら働いているサラリーマンに似ていたと思います。お金がないから、状況が許さないから、会社を辞められない、と思うかもしれませんが、それを捨てなきゃ、自分は変わらない。そして、自分の評価はお金や地位など、相対的なものでは決まらず、自分をいかに愛せるか、それだけで決まると思うんです。嫌な仕事より、無邪気な子どものように、肯定的にできる仕事を選んだほうが、どれだけいいか」
ここから加藤は、時には借金までして、自己啓発セミナーなどに通い始めた。通い出せば徹底したもので、数千万円を投じた。さらには、懐かしい少年院を廻って、講演を始めた。もちろん、1円にもなりはしない。
だが、彼はそうしたかったのだ。
(第3回に続く)
取材・文/夏目幸明
1972年愛知県生まれ。早稲田大学卒業後、広告代理店へ入社し、ジャーナリストに。経営者、マーケター取材を主に、現在、週刊現代「社長の風景」、ダイヤモンドオンライン「ヒット商品開発の舞台裏」などを連載。