店長の背中
僕はもうこのアルバイトはやめようと思っていたんです。いろんなバイトを経験してから、自分にあった仕事に就職をしようと思っていた。そんな時、異動があって新しい店長に替わって。僕と3、4歳しか年が変わらない新店長は口数の少ない人でしたが、背中で見せるタイプといいますか。
例えば営業時間終了後に夜中、一人で掃除をして翌日、出勤すると店内がピカピカになっているとか。スタッフが少ない時は必ずその店長が店にいました。新しい店長はたこ焼きも、まん丸くきれいに焼くことができた。僕は出勤日も少なかったし、手先が不器用だったので皿洗いとかが主な仕事で、たこ焼き作りに関わることはほとんどなかったんです。
「どうだ、織田くん、作ってみるか」
アルバイトを始めて半年ほどして、新しい店長に声をかけられて。たこ焼きの作り方を一から教えてもらいました。まずたこ焼きの鉄板にネタを流し入れて、たこ、天かす、紅ショウガ、ネギの順番に具材を入れ、その上からまたネタをかぶせていきます。焼きながら千枚通しを使って返し、丸く形を整えていく。
僕は家で料理したことがなかったので、すべて初めての体験でした。まず、マニュアルで決まった適量のネタを均一に入れるのが難しかった。「オレの焼き方を見ろ!」店長には見て覚えろと言われました。焼き方のコツはボクシングのように、肩の力を抜いて脇を締めることです。緊張して肩に力が入ると動きがぎこちなくなって、たこ焼きの形に影響が出てしまう。まん丸いきれいなたこ焼きに仕上がりません。
店長の前で3回たこ焼きを作って、3回とも同じような仕上がりだったら合格ですが、僕の作ったたこ焼きに、店長がうなずいてくれるまで半年ほどかかりました。
徐々に勤務する日数は増えましたが、店でお客さんに頭をさげることへの抵抗はありました。なんで謝らなければいけないんだと思うことが、けっこうあった。例えばお客さんから削りぶし、青のり、ソースと注文が入って、その通り作ったのに途中で変更される。「はい」と返事をしますが、ムッとしてしまう。「それって、表情に出ているんだぞ」と、店長に注意されていたのです。
ある時、テイクアウトのお客さんに、紅ショウガを抜いて欲しいと注文されて。うちのたこ焼きは紅ショウガを入れることになっていますから。お待ちいただくのを承知の上で、別途に一つだけ紅ショウガを抜いたものを作らないといけない。
「5分ぐらい、お時間いただきますよ」
「でも、他の店では3分でやってくれたよ」
「でも、今の時間帯ですと5分は必要でーー」反論してしまって。多分、僕も剣のある目つきをしたのでしょう。ちょっと険悪な雰囲気になってしまった。すると店長が躊躇なく店から飛び出して。店の前で「申し訳ありません」と、深く丁寧に頭を下げて謝り、「すぐにお作りします」と。
謝っている店長の背中を目にして、込み上げてくるものがありました。反省しなければと思った。商売はお客さん一人一人に、丁寧な対応をしていかなくてはいけない。頭をさげる大切さを学んだ出来事でした。
アツアツのたこ焼を特製のさっぱりとしたおろし天つゆに浸して食べる「ねぎだこ」。680円(税込み)
僕の遅刻ぐせは仕事がある程度できるようになっても、なかなか治りませんでした。ある時、開店時間に遅れてしまって。「おはようございます」と言ったら、「遅刻してきて最初にごめんなさいも言えないの?」と、店長にポツリと言われまして。無口な店長なだけにその言葉は僕の中に残りました。店長はしばらく口をきいてくれなかった。
申し訳ないことをした。もう怒られたくない、この店長には認めてもらいたい。この時もそんな気持ちが込み上げてきて……。
自分をわかってくれる人は誰もいない。高校を中退し、これからどうしていいのか。進路を見つけかねていた織田さんにとって、「銀だこ」は文字通り社会への扉であった。扉を開き歩きはじめた彼に、どんなことが待ち受けていたのか。彼の成長物語は後編に続く。
取材・文/根岸康雄
http://根岸康雄.yokohama