■復興への団結心
パートさんは私のお母さん世代が多い。私は学生時代体育会系でしたから、礼儀とお礼の言葉は否応なく身についていました。それが功を奏したのか、パートさんとの人間関係は順調でした。「最近の若い人は何を考えているの?」という感じで芸能人の話やお子さん、お孫さんのことで盛り上がり、仲のいいパートさんは「マヨ」と名前で呼んでくれて。
仙台幸町店は1年で異動になりましたが、パートさんが開いてくれた送別会では、「もう少し一緒に働けると思っていたけどね」という言葉と、私の好きなスキマスイッチの曲が入ったDVDをいただきました。
次の異動先は東日本大震災の爪痕が残る宮城県多賀城店。社員を含めて20名ぐらいの規模の小さな店舗でした。私は大変な思いをされた震災のことには、触れてはいけないと思い込んでいたのです。
ところが、「震災の時はちょうど揚げ物をやっていた時で、油がはねて怖かったわ」
「津波が来て一階が水没して、屋上に避難して、2階の寝具売り場から布団を運んで一晩過ごしたの」「水がだいぶ引いた売り場から、缶詰とか加工食品を取ってきて食べたのよ」とか。普段の避難訓練が生きて、お客さんをスムーズに誘導でき、犠牲者は一人もいなかったとか。
パートさんから積極的に、震災の時の話を聞かせてくれまして。その口調はまったく暗くない。皆さん、すごく明るいんですよ。被災されて困っている人たちがいる。震災からすぐにテントを張って営業を始めたという話も聞きました。パートさんたちの明るさには、みんなで立ち上がって復興していこうという団結心のような強いものを感じました。
多賀城店でも惣菜売り場で人間関係に悩むこともなく、楽しく働けたのですが、実は私の中で会社を辞めたいという思いもくすぶっていたのです。
会社を辞めたい……土田さんの中でくすぶっていたそんな思いが、人事への異動を希望する遠因になっていくのである。その詳細は後半で。
取材・文/根岸康雄