「乗って残そう」
21世紀に入ってから、地元はローカル線の永年存続に向け、それをキャッチフレーズに乗車を呼び掛けている。ー度鉄道が廃止されてしまうと、元の姿に戻ることは、ほとんどない。しかし、地元の熱意で、JR西日本可部線の一部区間がよみがえった。可部から先を乗り歩いてみよう。
■昔の可部線は極端だった
可部線は、かつて横川―三段峡間(60.2キロ)を結ぶ路線で、国鉄時代の1969年7月27日に全通した。横川―可部間(14.0キロ)は直流電化されており、単線ながら日中は20分間隔で運転されているのに対し、可部―三段峡間(46.2キロ)は非電化。運転本数、利用客とも少なく、ローカル線そのもの。ひとつの路線なのに、可部を境に“「光」と「陰」に分かれていた”と言ってもよい。
分割民営化後、JR西日本は、可部―三段峡間を2003年12月1日付で廃止。それでも、広島市は可部―河戸間(1.3キロ)の直流電化による運転再開を望み、JR西日本と協議を続けた。
また、太田川流域鉄道再生協会は、観光鉄道としての鉄路復活を計画していたが、残念ながら実現には至らなかった。広島市以外の沿線市町村では、JR西日本の手により、線路や踏切などを撤去した。
■1.6キロながら奇跡の復活へ
当時建設中のあき亀山駅付近では、一部区間の復活を喜ぶ看板を掲げていた。
可部―三段峡間の廃止から8年後の2011年2月、広島市は可部から約2キロまで、“直流電化で鉄路復活”の方針を固めたことが新聞などで報じられた。当初、JR西日本が2011年度に着工し、2013年度の開業を目指していたが、踏切の設置をめぐり、調整が難航した。広島市とJR西日本が最終合意に達したのは、2013年2月である。
“鉄路復活区間”となる可部―あき亀山間は、当初2016年春の開業を目指していたが、あき亀山駅の用地買収が難航してしまう。この影響で、開業は2017年3月4日まで延びた。