1976年。今や街中でその姿を見ない日はないほど、日本全国に浸透したサービスが産声を上げた。ヤマト運輸が提供する『宅急便』である。その40年史にはヒットのヒントが満載だ。
1948年入社、71年にヤマト運輸2代目社長に就任。『クロネコヤマトの宅急便』の生みの親。95年に経営から身を引く。元ヤマト福祉財団理事長。2005年逝去。
クロネコマークの原案となった画を初公開。広報担当者の子供が描いた。
◆大雪も「人災!」と一喝。「サービスが先、利益は後」というヤマトのDNA
◎LINEを使って集荷・再配達に対応
2016年1月にまたひとつ、『宅急便』の新たに便利なサービスが始まった。「ヤマト運輸LINE公式アカウント」の開設だ。クロネコメンバーズ向けのサービスで、公式アカウントのトーク画面に「お届け予定メッセージ」と「ご不在連絡メッセージ」を配信してくれる。さらには、荷物の問い合わせ、集荷・再配達の依頼などをLINEから行なうことができる。消費者側の利便性に一歩踏み込んだ、新しいサービスと言えよう。
それだけではない。ヤマト運輸は、昨年1年間だけで、小さな荷物を対象とした投函サービス「ネコポス」、小さな荷物をお得に送ることができる「宅急便コンパクト」、クロネコメール便に替わる「クロネコDM便」と、次々と新サービスをスタートさせた。
荷物の取り扱いは、昨年1年間で約16億2200万個。他社の追随を許さないポジションにあるにもかかわらず、次々と新サービスを投入するのはなぜか。
「お客様のための宅急便という変わらない目的のために、私たちは変化を厭(いと)いません」
そう語るのは、営業を取り仕切る北村稔常務執行役員だ。
「お客様のニーズが変化しているのなら、現場でお客様と相対している私たちも、変化していかなければならないと思います」
しかもこうした〝変化〟は、現場のセールスドライバー(SD)からの意見で採用されることが多いという。「トップダウンではなく、ボトムアップで成長してきた」(北村氏)のが『クロネコヤマトの宅急便』なのだ。
こうした現場から変革していくスタンスを、北村氏は「ヤマトのDNA」と胸を張る。いったい、「ヤマトのDNA」とは何なのか。その秘密は『宅急便』の成り立ちの中にあった。