■会話をすることは、言い負かされたこと
会話をするということは、状況いかんでは、相手の考えや意見などを否定することもあることだ。それには細心の注意を払うべきなのだが、本当の意味で心得ている人は少ないのではないだろうか。つまり、相手に打ち負かされたという意識を持つ可能性がある行為である以上、逆説的だが「話し合う」べきではない相手はいるのだ。タイミングや場所が、話し合うべきではない場合もある。「話し合うことが大切」と何度も教えられている人は、無批判にその教えに従う。
私の経験をもとにあえてドライなことを言えば、話し合ってはいけない人はいる。広い視野で考えると、そのほうが双方にとってプラスになることもある。厳しい見方かもしれないが、否定しがたい事実ではある。
■話し合いは不要
踏み込んで言えば、「話し合いは不要」の場合もある。暴論に聞こえるかもしれないが、例えば、あなたをいじめ抜く、あるいは認めようとしない上司や先輩に気を使い、無理に話し合う必要などないのだ。あなたに、敬意を何ら払わない後輩と深く会話をするべきでもない。
同じ職場にいて口すらきかないのは問題があるし、仕事はきちんとしなければいけない。だが、「この人とは会話ができない」と思うならば、それを心に秘めて、最低限度の話をしておけば十分なのだ。
ビジネス書やビジネス雑誌などに目を通すと、「上司や周囲の社員との良好な関係づくり」などの記事が頻繁にある。私の見間違いなのか、どこかの雑誌とそっくりの内容もあれば、「こんなこと、職場ではありえない」と感じるものもある。すべての記事とはいわないが、理解しがたい記事があることも事実である。
会社員の経験が浅い人は、こういうものを真剣に読んで、必要以上に感化されないほうがいいと思う。嫌だと心底、感じるような人と会話をするべきでもないし、心の中でスルーをしておけばいいこともあるのだ。少なくとも、そのような冷めた思いは秘めておくべきなのだ。
文/吉田典史
ジャーナリスト。主に経営・社会分野で記事や本を書く。近著に「会社で落ちこぼれる人の口ぐせ 抜群に出世する人の口ぐせ」(KADOKAWA/中経出版)。
■連載/あるあるビジネス処方箋