「やりたい」という気持ちを大切にしてくれ、公平、公正に合理的判断を下してくれるトップがいれば、人は変わり、組織は生まれ変わるのだ。そして、ビアトレインは抽選になるほどの人気を得る。また、車輌に関する部署など、現業の部署のトップも出席する全体会議からは“腕利きのシェフが料理を振る舞うわずか52席の観光列車”『西武 旅するレストラン 52席の至福』の企画が生まれた。いまやこの企画切符は3ヶ月先まで満席だ。
この過程で、若林はいくつも忘れがたいシーンを見た。『ミステリービアトレイン』を実施した時のことだ。
「途中駅で停車した際、駅員が制帽を自主的にお客様に貸し出し、記念写真を撮影していたのです」
備品を安易に貸し出したら叱られるかもしれない――硬直した組織の社員なら、こう考えたに違いない。だが「うちの社長は誉めてくれる」と意思疎通ができていれば現場は放っておいても動く。若林は、学生時代の経験を元に、いつしか「人が動く」環境を創り出す手腕を身につけていたのだ。彼は慈父のような表情で「こういった、心のこもったサービスが何も言わずとも始まっていることがうれしくて……」と頬を緩める。
さらに彼は、心から楽しそうに、今年の入社式で会った新入社員のこと話し始めた。
「入社式の懇親会で、18歳の新人が『私も社長になれますか?』と聞いてきたんです。そりゃ、感動しましたよ。前向きな若者は、会社の宝です!」
どう答えたのか? 若林が人生を賭けて得た、シンプルな教訓だった。
“間違いなくなれるかはわからない。けれど、毎日の仕事にベストを尽くそう。そうすれば、自ずと道は開ける――。”
(文中敬称略)
若林 久(わかばやし・ひさし)/1949年、静岡県生まれ。早稲田大学商学部を卒業後、伊豆箱根鉄道へ入社。自動車部、労務担当などを経験したあと、東京営業所所長、常務取締役営業部長を経て、2006年同社代表取締役社長に。2012年5月に親会社の西武鉄道代表取締役社長に就任。同年6月に西武ホールディングス取締役に就任、以来現職。
【著者プロフィール】
夏目 幸明(なつめ・ゆきあき)/1972年、愛知県生まれ、早稲田大学卒業後、広告代理店勤務を経てフリージャーナリストに。おもに経営者の取材を行い、様々な経済誌に連載を持つ。現在は、豊富な人脈を活かし業務提携コンサルタントとしても活躍。
■連載/【社長の横顔】西武鉄道代表取締役社長・若林 久さん