■連載/【社長の横顔】キリンビバレッジ代表取締役社長・佐藤章さん
伝説の営業、伝説のマーケターは、伝説の社長になれるのか――。経営者のサイドストーリーを元に、人物像に迫る連載「社長の横顔」、第2回はキリンビバレッジ・佐藤章社長のインタビューだ。『生茶』や『FIRE』、『世界のキッチンから』などのヒットとなった商品は、どんな生き方から生まれたのだろうか?
さとう・あきら/1959年、東京都生まれ。1982年に早稲田大学法学部を卒業し、キリンビールへ入社。営業、商品企画部を経て、1997年にキリンビバレッジ商品企画部へ異動。その後、2006年にキリンビバレッジ、キリンビールのマーケティング部長に就任し、数々のヒット商品を世に出す。2014年3月から現職
◎いつも、ティッピング・ポイントを探していた
キリンビバレッジ社長・佐藤章は、一言で表わすなら「異常に元気な人物」だ。以前、社内、社外混合のチームで海外出張に行き、早朝に日本に着いて全員が時差ボケだった時、彼が発した一言は「今からゴルフに行こう!」。最近は「社長になっても、先頭に立って走ります!」と宣言し、約1600名を数える社員全員と面談を実施している。いわば「無尽蔵の体力を持つスーパーマン」にも見える。
こうなったきっかけは、幼少期にあるのかもしれない。彼は東京・新宿区の生まれ。3歳の時、郊外の街・上石神井に引っ越すと、たまたま同時期に親戚たちも近所に越してきた。
「大晦日~正月ともなれば、毎年、20~30人は集まってきました。いつも、すごい数の大人や、同じ年くらいの子どもに囲まれて成長したわけです。そんな中で、何か遊ぶとなると、いかに主導権を握るか自然と考え続けていたんだと思います」
多趣味にもなった。物心ついた3~4歳の頃は絵を描くことが好きだった。漢字も読めないのに、江戸カルタの絵と文字を模写し、また、大人がトランプやマージャンに興じている姿をスケッチした。
「誉められて伸びるタイプなんでしょう、大人が感心してくれるのが面白かったんです。その後、小学生になると『カリカチュア』を学び始めました。文字をゴシック体や明朝体で書くものです。
また、大人の中には、歌はもちろん尺八を吹く人もいました。これを見るうち、僕も楽器がやりたくなったんです。最初にバイオリンを弾き、中学生になるとギターの練習を始めました。その後は、作詞作曲がしたくなって友達とバンドを組んで、アコースティックギターでフォークを歌い、次にギターがエレクトリックギターになって……」
賑やかな中に身を置き、刺激を受けることで、自分が何に興味・関心を感じるかを知ったのだ。何かを始めると、それがきっかけで情報が入ってきて、次の何かに興味を持った。また、彼の言葉の中に「主導権を握ろう」というものがあった。目立って誉められようとしたのだろう、それが「上手になろう」という思いに拍車をかけた。
元気だから面白がれたのか、面白がれたから、元気なのか。鶏が先か~といった話のようだが、このあたりが彼が異常に元気な源だろう。
そして、興味を持った全てが、将来の役に立った。
「親戚たちと話す時も、一番盛り上がる話題は何なのか考えて話しました。今で言えば、自然と、ティッピング・ポイント(ある話題やアイディアや商品等が一気にブレイクするポイント)を探していたんです。人が何を好むか、この場が何なら盛り上がるか、それって感情が創り出すものだから、理屈じゃない。感覚的なものなんです。これは、その後、マーケティングで活きたと思います。いつも自然と、社会と飲料の接点の中で、どこがティッピング・ポイントなのかを探していると思います」
絵も役立った。商品を開発するとき、消費者に難しい理屈を伝えようとしても無理だ。
「だから、僕はいつも『ワンビジュアルで伝えるためには?』と考えます。そのとき昔の経験が生きているのか、僕の場合、商品開発の段階から絵で発想したり、カリカチュアの知識を活かして大見出しを考えてみたりするんです」
裾野が広いほど、高い山が生まれる。敷地が広いほど、高いビルが建てられる。
彼の仕事は、少年期の豊かな体験あってのことなのかもしれない。
「ただし、当時はもちろん、何も考えずに遊んでいたんですよ(笑)。やっぱり、いろんなことや、いろんな人が好きだったんです。
人も、モノも、出来事にも、興味があって、好奇心があった。ようするに、大好きだったんですよ」