貝印『なでそり』
「カミソリらしくない」……〝100か0か〟挑戦の軌跡

円を描くように肌をなでるだけで毛がそれる世界初のカミソリ。石けんなどを使わず、乾いた状態でも使用可能。約φ60×H25mm。1100円。
少女の日の「痛み」とお風呂場の「ズボラ」
栗田圭子は初めてカミソリを使った日の痛みを覚えている。
「小学生の頃、母の化粧台からこっそり持ち出して自分の部屋で足をそったんですが、使い方がわからず深く切ってしまったんです。今でも痕が残っています。親には言えませんでしたね」
初めて体毛をそる時、子供は恥ずかしさを感じることが多い。貝印の調査によれば5人に1人が親のカミソリをこっそり使った経験があるという。それ以来、彼女は心のどこかで〝人生最初のカミソリ〟を作りたいと考えてきた。
金村実奈は入浴中にふと思いついた。カミソリで一方向にそるのは、意外と技術や集中力を必要とする。毛の流れを見極め、刃が当たる角度を考えなければならない。何ならパソコンのマウスのようなものの下側に回転する刃を付けて手でつかみ、肌の上を滑らせるようにそれるカミソリは作れないか? 手のひらにすぽっとはめて皮をむく同社の『手のひらコンパクトピーラー』という既存商品もヒントになったという。
2022年、彼女たちの思いが交差した。貝印では部署の垣根を越えて自由にアイデアを出し合うアイデアコンペを実施している。この場で「なでるようにそれるカミソリ」と「初めてのカミソリ」が最終選考まで残ったのだ。これを見て役員が言った。
「一緒にやったら?」
肌の上をなでてそるなら子どもも使いやすいはずだ。卓見だった。

古田樹也(ふるた・みきや/右)
入社以来、刃物の開発一筋20余年。今回は開発をまとめる立場で製品の再設計から始め、量産への道筋もつけた。
栗田圭子(くりた・けいこ/中央)
子どもが使う「初めてのカミソリ」を提案。以前は古田と同じ開発部門に在籍したため、企画と開発の橋渡し役も務めた。
金村実奈(かねむら・みな/左)
「なでるようにそれるカミソリ」の起案者。当時は営業職。のちに企画へ移り、試作の評価、販売戦略等を担った。
技術者はスペックより「ストーリー」を重視した
読者は「野鍛冶」という言葉をご存じだろうか。
貝印は、鎌倉時代から刀鍛冶が集まっていた街、岐阜県関市の企業だ。明治期、刀が使われなくなると刀鍛冶は「野鍛冶」――刃物を使う人の要望に応えて何でも作る職人へと変わっていった。例えば小柄な人が鎌を使うなら小さくし、左利きの人には刃の付き方を逆にする、といった具合だ。
貝印は社として、この「野鍛冶の精神」を大切にしているという。すなわち、ユーザーが欲しい何かを考えつづけることを価値基準としているのだ。栗田が話す。
「しかも当社は企画から製造まで一貫している。発想を最終形まで持っていけるんです」
彼女たちの思いを形にすべく動いたのが古田樹也だった。彼は当初、企画書を見て「これは難しいな」と感じたという。
「複雑な部品があると壊れやすくなります。当然、壊れたらユーザーにケガを負わせるリスクも高まりますよね」
しかも部品が増えれば製造工程も増えコストに跳ね返る。彼は企画案を白紙に戻し、関連部門を集めてゼロベースで構造を考え直すことにした。残ったのは「なでるようにそる」一点だけだった。
ヒントは存在した。電動のバリカンと同様に刃の部分が肌を切らないよう、刃を覆う櫛状の部品がついたカミソリがあったのだ。この刃の部分を複数、円形に近くなるように並べればなでるようにそれないか?
古田率いる開発チームは、社内の3Dプリンターで試作を繰り返した。コストを抑えるため刃の枚数は減らしたい。しかし三角形や四角形だと刃と刃の間の部分でそり残しが出てしまう。それだけでなく、製品の大きさ、厚みなど決めるべきことは山ほどあった……というより決まっていることなど何もなかった。
古田に話を聞く中、彼の言葉に興味深い一節があった。
「これ、ストーリーがすごく大事かなと思っていて……」
技術者がスペックやコストではなく「ストーリー」を重視するという。それはなぜか?
【STEP 01】複雑な要素を削ぎ落とし、必要な機能を磨く
方向性を持たない「円形」が決め手

手のひらで握って体の上を滑らせて使う。刃の向きを毛に合わせる必要がないため、利き手でない手でも扱いやすい。水やシェービングフォームも不要だ。
2つのガードで肌を保護

刃についた2つのガードが先に肌に当たることで、優しくそれる。さらにガードは、横滑りしても切傷しにくく安全な「櫛」型を採用した。

開発方針「DUPS³」が開発の道筋を示した
貝印には、過去の知見から開発に欠かせないエッセンスをまとめた言葉がある。「DUPS³」──Design(デザイン性)、Uniqueness(独自性)、Patent(特許)、Safety(安全性)、Sustainability(持続可能性)、そして「Story(物語)」の頭文字をとったものだ。中でも貝印はこの「ストーリー」を「道具を作るのではなく、人が道具を使う瞬間/行為そのものを創る」と説明している。この商品なら「初めてのカミソリだからケガを防げるようにしたい。道具を使うのは子どもたちだから、実際に使ってもらって形にしよう」ということになる。古田が続きを話す。
「モニター調査を行ない、フィードバックをもとに形状を変えていき、なぜこの形になったのかという『ストーリー』を構築しながら進めれば、自信を持って発表できると考えたんです」
開発チームは「なぜこの形なのか」を突き詰めていった。まずは刃。三角形や四角形など、内角が90度より小さいとそり残しが出る。そこで「五角形が最適」と結論を出した。さらには側面のカーブ。本体を握った時、ちょうど親指の腹が当たる部分である。
「へこませたほうがいいか、まっすぐか、膨らませるか。ミリ単位の違いで試作を作り、今の指になじむカーブを作り上げました」
そった毛を洗い流すための「抜け道」も必要だった。将来的に様々なIPとのコラボなども想定して中央には平面を残し、円周に沿って穴を配置した。これにより「ユニーク」や「デザイン」も実現できたといえる。中でも最も時間をかけたのは安全性とそり心地だ。開発チームは刃を覆う櫛状の部品の高さや間隔(ピッチ)、刃の角度を少しずつ変え、比較評価を続けた。こうしたこだわりの効果は思わぬ形で証明された。金村が話す。
「社員の子どもに試作品を使ってもらった時、テストに参加した一人の子の足には、かさぶたがあったんです。ただ、カミソリがその上を滑っても、かさぶたがはがれなかったんですよ」
推奨できる使用法ではなく、金村は「ご家庭では利用を避けてください」と言うが、彼女は「ここまで安全なものができたことには感動しました」と話す。こうして製品は形を整えられていった。




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