「水らしい佇まい」に込めた、作り手の矜持
サントリーには未知への挑戦を支える有名な言葉がある。今も社員が集まるカフェから見える壁に大書されている「やってみなはれ」だ。創業者・鳥井信治郎がよく口にしたもので、本気でやりたければ応援しよう、という企業文化を表わす。久保が話す。
「実際、社内のポジティブな雰囲気には助けられましたね。例えば『水に機能なんて無理でしょ?』という声はなく、周囲はみんな『できたら飲ませて!』と応援してくれました。『特茶』チームも、築き上げてきてブランドイメージを損なう可能性もあった中、『面白いじゃない!』という肯定的な声をくれました」
一方、この言葉には対になる言葉がある。「みとくんなはれ」だ。「やってみなはれ」と言ってくれた人やユーザーに対し、必ず成果を見せるべし、という厳しい言葉でもある。久保が話を続ける。
「毎日お茶を飲んでいるとたまに水を飲みたくなる、という言葉はほんの1人か2人が口にしたコメントでした。しかしユーザーのリアルな思いはそこに表われるのです。当社は調査に多額の費用をかけていますが、それは定量的なデータや最大公約数的な答えを探すためだけでなく、こんな一言を頂くためにあるのだと思っています。この部分には、他社には真似できない情熱があると思いますね」
ユーザーの心の奥底の声を拾えたなら、それを握りしめ、大切な言葉をくれたあなたに「みとくんなはれ」と届けたい。そして、笑顔を見せてほしい──。
リチャードソンの研究は3年目に突入し、試した素材の数も50を超えた。ここでようやく彼女は可能性がある素材を見つけた。米ぬか由来の「HMPA」で、ほぼ無味無臭、殺菌しても、時間が経っても色や味は変化しない。いけるかも、と思いつつ久保とリチャードソンはHMPAを加えた水を試作品の評価会に出すことにした。
各部署の長にあたる人物が数十人並ぶ。冷えたペットボトルが配られる。普段なら「おいしい」「香りがいい」と饒舌に語る面々が、この日は皆、一様に難しい顔をして水を口に含み、黙り込んだ。無理もない。「味がない」ことを確かめる特殊な試飲なのだ。
静寂の後、こんな声が漏れてきた。
「味はしないね」
「これ、いい!」
幹部の顔に笑みが広がり、その瞬間、緊張に包まれていた会議室は沸いた。
これに並行し、デザインも完成に近づいていた。橋本が話す。
「毎日持ち歩くものに、作り手の思いを過剰に盛り込んではいけないと思うんです。必要以上に目立つ必要もありません。そこで、銀色の機能性を訴える部分は少なくし、水らしい佇まいを大切にしつつ『特茶』ブランドだから機能もありますよ、と一瞬で理解していただけるつくりにしてみました」
直感と論理の間で重ねた試作を初公開!
形のない思いを形にする。その答えは、お客様の心の中にありました


機能を前面に出しても、水らしいデザインにしても『特水』の特徴が伝わらないことがよくわかる。中央、成功したものも「Suntory」のロゴを少し大きくするなどの微調整が加えられている。

「痩身」「美容」といったイメージが強いデザインだと持ち歩きにくいというジレンマもあったが、現行商品はどのシーンにもよく合う。
「これがほしかった!」SNSにあふれた歓喜の声
その後、リチャードソンは再びの難問に出くわした。
「正しく成分が配合されているかを確認する『出荷判定』の分析ができなかったのです。通常なら糖度や固形分の数値を測るのですが、この商品はHMPAと水だけなので、既存の分析計では何も検出されず『ただの水』という結果になってしまうのです」
成分の存在を証明できなければ世に出せない。彼女は結局、この〝見えない成分〟の分析方法も一から検討して導入し、ハードルを越えていった。
こうして、25年10月、すべての難問をクリアし『特水』が世に出た。発売後、売上は想定の1.3倍を超える勢いを見せるが、久保に「一番うれしかったことは?」と聞くと、彼はこう答えた。
「SNSで喜びの声を見た時ですね。検索すると、見ても見ても限りないほど『これがほしかった』『これなら毎日飲める』という声があったんです。この熱い反応は、通常の飲料ではなかなか目にできないものだと思います」
かつて対面調査で様々な声をくれたユーザーの顔とSNSのコメントが重なったのかもしれない。しかも水はこれといった特徴がないからこそ、多くの層に受け入れられていった。久保が話す。
「SNSに『白湯で飲みたい』といった声があったんです。これを受けすぐに『特水』を沸かしても成分に変化がないことを確認しました。さらにはのどを気遣う声優やミュージシャンの方が、SNSで『愛飲している』と言ってくれました。中には――決して推奨はしていませんが『特水』でインスタントラーメンを作ってみた、という声もありましたね」
「やってみなはれ」といっても、手あたり次第やっていいわけではなく、そこには根拠が必要だ。だから社員は徹底的にユーザーの心の奥底を掘り起こし、生の声を拾い上げる。そしてこれを聞いたなら、開発者は「みとくんなはれ」と、自分を信じてくれた社内の決裁者や、貴重な声をくれたユーザーに向けて最高の自信作を世に出す。
取材の中盤、リチャードソンに、「結果が出ない間、何に支えられていたのか」と聞いた時、彼女はこう答えていた。
「開発者としてのワクワク感ですね。誰も作ったことがないものと新しい素材、新しいアイデアを掛け合わせたものを担当させてもらえることがモチベーションになっていました。あとは、調査を通じて直接触れた『こんな水があったら絶対に嬉しい』という、お客様の熱を帯びた声です」
これぞ「やってみなはれ」「みとくんなはれ」の〝サントリー魂〟と言えよう。今、街の自販機やコンビニに無色透明の『特水』が静かに並んでいる。私たちの見慣れた光景が新たに塗り替えられていくのは、こんな2つの思いが交差する瞬間かもしれない。
サントリーらしい告知戦略も

『特茶』発の新しい水にちなんで東京・御茶ノ水駅をジャック。駅名標を模したサントリーらしい遊び心あふれる広告はSNSで話題に。

TVCM「特別な水 登場」篇。『特茶』のCMにも出演する本木雅弘さんのおなかの周囲を水が回るCGにより『特水』の機能も訴えた。
待っていたお客様へいい形で届けられ胸を撫で下ろしました

白湯にしても氷にしてもOK!
「水」だからアレンジも自由自在。SNSの「白湯で飲みたい」といった声に即応し成分変化がないことを確認した。

サントリー『特水』ヒットをひもとく挑戦者たちの足跡
見えない成分に注ぎ込まれた情熱。サントリーの哲学が宿るヒットの裏側を3つの視点から探る。
POINT 1|健康飲料をお茶から水に置き換えて発想
POINT 2|「おいしそう」と「効きそう」を両立
POINT 3|判断基準は常に「水らしさ」に設定
取材・文/夏目幸明 撮影/小倉雄一郎 編集/髙栁 惠







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