
【対談】近藤 薫さん(東京フィルハーモニー交響楽団コンサートマスター、東大先端研特任教授)×コスタンティーニ ヒロコさん(東大農学生命科学研究科准教授)
セカンドライフのデザインや「ケア・リテラシー」などをテーマに、東京大学農業生命科学研究科で産学連携のプロジェクト研究を進めるコスタンティーニ ヒロコさんが、仕事やプライベートを通して出会った魅力的な人をゲストに迎えトークを繰り広げるスペシャル対談。今輝いて見える理由、これまでのキャリアと「セカンドステージ」をどのように見据え、デザインしていくのかを語り合います。
今回のお相手は、東京フィルハーモニー交響楽団のコンサートマスターであり、東京大学先端研特任教授としてのキャリアを4年前にスタートさせた近藤薫さん。東京大学先端研キャンパスにお邪魔しました。
左/近藤 薫さん(東京フィルハーモニー交響楽団コンサートマスター、東京大学先端研特任教授) 右/コスタンティーニ ヒロコさん(東京大学農業生命科学研究科准教授)
音楽家と東大の研究者という二足のわらじ
コスタンティーニ ヒロコ(以下、コスタンティーニ) 近藤薫さんは、日本で最も古い歴史と伝統を誇るオーケストラ「東京フィルハーモニー交響楽団」のコンサートマスターを務めるヴァイオリニストであり、東京大学先端科学技術研究センター(先端研)では、特任教授としてアート(芸術)と社会の連携について研究をされています。異色の「二足のわらじ」を履かれたのは、なぜでしょう?
近藤 薫(以下、近藤)最初、東大からお話があったときは、とても驚きました。私は現役の演奏家であり、終生ヴァイオリニストとして生きていく人生だと思っていましたから。それに、研究者になることで、芸術家としての何かを失うかもしれないという不安もありました。実際、物理的に練習時間が減るわけですし……。
コスタンティーニ 音楽家としてキャリアを十分に積み、その世界で思う存分活躍されているさなか、よくぞ研究者の道を決心されましたね。
近藤 もともと楽天的な性格で、ダメならそのときはそのときという感じで……(笑)。でも、よくよく話を聞いてみると、先端研は新たな知見を広げる場所であり、社会に埋もれている価値を見出す研究をするところです。その在り方や考え方は、私が音楽家として日頃から感じていたことと軸を一にしていると思うようになりました。
コスタンティーニ 軸を一にしているものとは?
近藤 目に見えないもの、今の科学的なものの見方や手法では数値化できないものの中に、人間にとって、社会にとって、とても大切なものがあるという視点です。これまで私が社会と自分を結ぶコミュニケーションツールとして取り組んできた音楽も、そのひとつです。
コスタンティーニ 確かに、音楽も含めたアートは数値化できないけれど、深く人の心に響き、大きな影響を及ぼしますね。
近藤 環境問題や戦争の問題など、これまでの論理的な思考に基づく科学技術だけでは解決できない難題が続々と社会に出現している今、学術研究の分野にアートの視点を取り入れることや、アートがもたらす新しい価値を見出し、それを言語化することは、実はおもしろいかもしれないと強い興味を持ったのです。
コスタンティーニ なるほど! 科学だけでは解決し得ない現代の難問に対して、先端アートデザインの分野からアプローチを試みるのですね。実に画期的です!
近藤 私自身、音楽とは何か、よくわからないものを何とか言語化してみたいという思いもありました。
コスタンティーニ スタートはどんな感じだったのですか? 先端研には、そんな研究分野はまだなかったですよね?
近藤 一から立ち上げました。当時、先端研の所長であった神崎亮平先生(生命知能システム分野 ※崎は正しくは「たつさき」)と話す機会があり、さまざまな分野の企業とともに、アートという視点を盛り込んだ共同研究をするという構想を聞きました。以前から産・官・学の連携の必要性が言及されていますが、そこにアートを加えようという取り組みです。私がのんびりと「知の巨人である東大がそういうことに取り組むことはいいことですね。ぜひ応援したいです」と言ったら、「いや、応援じゃなくて、君がやるんだよ」「え~? どうやって?」「それは一緒に考えていこう!」……みたいな流れになっちゃったんです。
コスタンティーニ あらあら、急に人生の曲がり角が現れましたね。
近藤 当時の私は、大学が研究機関であるということがよくわかっていなかったんです。そもそも私の出身である東京藝術大学では、次世代の音楽や美術の専門家を養成することに重きが置かれていたせいか、大学が研究機関であるという意識がなかったので……。先端研での毎日は、おっしゃる通り、大きな曲がり角に立った感じでした。
コスタンティーニ 東大はガチガチの研究機関だと認識している側としては、新風のように感じます!
芸術や音楽は、人々をつなげていくもの
コスタンティーニ 何歳から音楽の道に?
近藤 祖父も父もヴァイオリニストで、私も2歳半の頃からヴァイオリンを練習してきました。今も、ヴァイオリンは私と社会をつなぐコミュニケーションツールだと思っています。でも、大学3年のとき、突然、本番で弾けなくなったことがありました。
コスタンティーニ それはなぜ?
近藤 私自身、戸惑いました。練習なら弾けるのに、本番になると弾けない……。そんな窮地を、2人の恩師が救ってくれました。ひとりは小澤征爾先生、もうひとりは当時パリに住まわれていたロシア人音楽家のロストロポーヴィチ先生です。
コスタンティーニ 先生方から教わったこととは?
近藤 音楽に真摯に向き合いなさいということでした。命がけで音楽と向き合う覚悟があるのか、命を懸けるとはどういう意味なのか。それを感じるために、2人とも、コンサートを開いた収益で、自分たちや私たち教え子が地方で演奏できるように、旅費を工面してくださりました。私たち演奏家の旅行は、実はお金がかかるんですよ。
コスタンティーニ お金がかかる?
近藤 たとえば、ヴァイオリンは非常にデリケートな楽器なので、飛行機移動の際に通常の荷物としては預けられません。楽器の安全を確保するために、2席は必要なのです。でも、先生方のおかげで、演奏会に来るのも大変なところに住んでいる方々の村や、養護施設や医療施設などでの訪問演奏に加われたのです。
コスタンティーニ どんなところで演奏されましたか?
近藤 あるとき、10日間ほどかけて、山間部の養護学校や廃校の小学校などで演奏しました。村の人たち、といっても総勢20人ほどなのですが、みんな涙して聴いてくれました。その涙を見たとき、芸術や音楽というのは、人々をつなげていくものであり、社会に伝えていかなければならないものだということ、そして音楽家はそこに命を懸けることが使命なのだと、しみじみわかりました。
コスタンティーニ まさに、それは二人の先生が近藤青年に気づいてほしかったことだったのですね。
近藤 はい、そうです。私の楽器は200年以上前に作られたものですが、木を切ってくる人がいて、その木を十分に乾燥させる人がいて、楽器を作る職人さんがいて、丁寧に補修する職人さんがいて、素敵な曲をつくる作曲家がいて、さらに多くの演奏家が大切に受け継いできたからこそ、今、私はこの楽器で音を奏でられるのです。そして、それを聴く人がいて、真の音楽として在るのです。
コスタンティーニ 音楽には本当にたくさんの人が関わっている、つまり、音楽を通して人と人がつながっているのですね。
近藤 その通りです。音楽とは、時代や空間を超えて人と人をつなげてくれるものだとストンと腑に落ちました。そして、私は先生方に教わったことを忘れないために、また自分自身をもっと深めたくて、先生方と同じように、全国の障がい者施設や病院、児童養護施設などでの演奏活動を始めたのです。
コスタンティーニ お話から、アートの社会的な価値や重要な役割というものがだんだん分かってきました。
北海道の納沙布岬で叶えた10年越しの夢
近藤 ロストロポーヴィチ先生にまつわるエピソードがもう一つあります。それは、10年の歳月を要した北海道・納沙布岬をめぐる物語です。先生は、北方四島がかすかに見える現地を訪れ、個人的に演奏することを望んでいらっしゃいました。大の親日家であるだけでなく、故郷をこよなく愛していた先生ですが、非常に深いお考えと想いがあったことは想像に難くありません。ただ、社会的な情勢によって、それは叶うことなく、この世を去られてしまいました。いつの日か、音楽で世界を平和にという信条をお持ちだった先生の代わりに演奏したいと思いました。
コスタンティーニ そして10年後、いよいよ……。
近藤 納沙布岬を訪れる機会が訪れました。でも、天候は最悪。譜面台が飛んでいってしまうような激しい風が吹き荒れている中、演奏する場所を探していたところ、丘の上に展望デッキのあるタワー(現オーロラタワー)が目に入りました。これで10年越しの夢が叶うという思いでいっぱいになりましたが……。
コスタンティーニ やはり社会的な情勢で難しかった?
近藤 いいえ、このときは時間が問題でした。閉館時間が迫っていたのです。日程の関係で、演奏できるのは今日、このとき限り。事情を話したら、そのタワーのオーナーの友達が私の知る先輩ヴァイオリニストだとわかり、「そういうことなら、どうぞ」とOKをいただいたのです。
コスタンティーニ 音楽がご縁を取り結んでくれたようですね。
近藤 ご縁って、ありますよねぇ。人と人のつながりの重要性について、しみじみ感じるようになりました。
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盛り上がってきたアート×社会についての談義。後編では、さらに近藤さんの音楽に大きく影響した出来事から、音楽の可能性、人とのつながりがもたらす幸福感など話が広がります。
PROFILE
近藤 薫さん
東京藝術大学大学院修士課程修了。2015年から東京フィルハーモニー交響楽団コンサートマスターを務める他、フューチャー・オーケストラ・クラシックス(旧・ナガノ・チェンバー・オーケストラ)、バンクーバー・メトロポリタン・オーケストラでもコンサートマスターを務める。長野市芸術館シーズンプログラム・プロデューサーとしてリヴァラン弦楽四重奏団を主宰。東京大学先端科学技術研究センターでは先端アートデザイン分野の設置に尽力、現在、特任教授としてアート的な感性による新しい社会概念の構築を目指している。
https://www.rcast.u-tokyo.ac.jp/ja/research/AAD_Lab.html
PROFILE
コスタンティーニ ヒロコさん
のどかな田園風景の広がる兵庫県丹波市で5人きょうだいの末っ子として育つ。ハーバード大学およびオックスフォード大学などで社会科学を学び、生後10日の3女を抱きかかえながらオックスフォード大学で修士課程を開始。ケンブリッジ大学で博士号修得、パリ政治学院、オックスフォード大学で研究と教育に従事した後、セカンド・ステージのため20数年ぶりに日本へ帰国。現在、東京大学農業生命科学研究科地球生物環境学講座 IPADSプログラム准教授。研究分野は社会的サステナビリティ、ソーシャル・イノベーション・デザイン、「ケア・リテラシー」など多岐にわたる。
取材・文/ひだいますみ 撮影/五十嵐美弥(小学館)