子育ての終了、役職定年、親の介護、健康不安……。自分の「これから」に向き合うきっかけは、人それぞれ。連載【セカステReal】では、自分らしい生き方を模索し、セカンドステージに歩を進めたワーキングウーマンたちの奮闘、葛藤、感動のリアルストーリーに迫ります。
【セカステReal #07 】前編
定年退職後、夫婦二人三脚で夢を広げる店舗経営(宮本智美さん・62歳)
Profile
長崎県長崎市在住。一男一女の母。東京の大学へ進学し、卒業後、故郷の長崎県庁職員に。結婚して出産後も仕事を続け、2023年に定年退職。同年秋に、40代から夢見ていた宝石店とカフェがコラボした「ジュエリーカフェ」をオープン。
40代から描いていた、リタイア後の夢をカタチに!
宮本智美さんは大学卒業と同時に故郷・長崎にUターン。1985年、長崎県庁に入庁し、長崎県会計課、議会事務局、観光振興課、物産ブランド推進課、窯業技術センターなどさまざまな仕事を担当。2023年、定年退職を迎えたのち、夫・宮本隆志さんが経営する宝石店「ジュエリー・ミヤモト」とコラボした「Ruby Jewelry Cafe」をオープン。以来、夫婦おふたりで店を切り盛りしています。このコラボカフェのオープンは、40歳代からの夢だったとか――。20年来の夢をどのように実現していったのか、これまでの道のりや想いを伺いました。
――60歳からのカフェ開業はいつごろから構想していたのですか?
夫の宝石店とコラボしたカフェを開きたいと思ったのは、結婚後、子どもが小学校の高学年になって、子育てに少し余裕が出てきたころのことです。宝石店の商談コーナーでは、元々お客様にお茶を出していましたので、その延長線上で、軽食を出すカフェを開いてはどうかと漠然と思ったのです。
宝石店というと、ある程度ジュエリーに興味のある方しか来ていただけませんので、カフェを併設することで、新たな顧客を開拓できるのではないかという想いもありました。その計画を夫に話したところ、即賛成してくれまして、それからは「いつか実現できたらいいね」などと、ふたりでときどき話をしていたんですよ。
ただ、子育てもまだ道半ばでしたし、公務員としての仕事にもやりがいも感じていて、そのために仕事を辞めるつもりもありませんでしたので、本当に夢物語としてしか考えていなかったんです。
農業と陶磁器の町・波佐見町への異動が、夢を現実にするきっかけに
長崎県波佐見町・中尾山の風景。ところどころに窯元の煙突が見える。写真提供/長崎県観光連盟
――夢物語がお店の実現に向けて動き出したことには、なにか大きなきっかけがあったのでしょうか?
退職する2年前に、農業と陶磁器の町、波佐見町にある「長崎県窯業技術センター」へ、センター長として単身赴任したことがきっかけでした。そのとき、波佐見町民はじめ県内外の方々が集まる「朝飯会(ちょうはんかい)」で、さまざまな方たちの話や活動の様子を見聞きしているうちに、私も夢を実現したいと思うようになったのです。
「朝飯会」は、月に1度、年齢も職業も全然違う人たちが集い、各人が3分間スピーチをするという催しで、参加者には経営者や大学教員、公務員、会社員、学生、リタイヤした人、それに町長と、10代から70代までバラエティーに富んだ人たちが参加していました。
いろいろなお話を聞く中で、60歳以上の方たちが町おこしという夢を追い求め、懸命に活動している姿が、私にはとても印象深く映りました。誰もがキラキラと輝いて見えて、退職は人生の終わりではないし、今から夢のために行動しても決して遅くはないんだと確信できたのです。
長崎県庁時代の宮本さん。秘書職として入庁して以来、退職するまで長崎県会計課、観光振興課など、さまざまな仕事を歴任した。写真は窯業技術センター時代の、産地の方々との交流の一コマ。
公務員時代、物産課や観光課に在職中、飲食イベントを主宰する仕事を担当したことがありましたので、飲食店を開くときに保健所の厳しい規定をクリアしなければならないことが、とても大変なことだと熟知していたのですが、夢をカタチにしようとしたとき、さらに法改正が頻繁にされていたんですよね。それで、長崎市の基準がどうなっているのか調べなければなりませんでした。それを把握するのは非常に難解でしたが、お店が市役所に近く、頻繁に足を運んで相談できたことも良かった点です。
昨今は、例えばブックカフェ等の様々な形態のカフェの事例もたくさん出てきているので、以前に比べ、出店への規制が少し緩和されているのではないかと思っています。
以上のようなことがきっかけとなって、波佐見に赴任中のころから夫と週末に話し合い、ジュエリーカフェのオープンに向けて動き出しました。
店の立地とイメージを具体化し、食品衛生管理者の資格を取得
――週末がセカンドステージへの準備をする時間だったのですね。
ええ、平日は窯業技術センターの仕事をするだけで手いっぱいでしたし、波佐見町と長崎市は離れていましたので、夫としっかり話をするには週末しかありませんでした。
開店の準備として、まず着手したのは、出店場所の選定でした。それまで夫が出店していた場所は、市民会館や市役所、それに市内を代表する観光スポットの眼鏡橋などがあって、立地は最高でしたので、その付近で新たな物件を探したのです。でも、あまり良好な物件が見つからず、結局、既存のお店を大幅にリニューアルして新店舗を開くことにしました。
カフェで使う食材の調達や軽食の調理に関しては、実家の父と母が、今でいう産直センター的な販売店や民宿を経営していて、幼い頃からその姿を傍らで見たり、手伝ったりしていましたので、さほどハードルが高いものだとは思っていなかったんですよね。けれども、スイーツづくりに関しては、知識も経験も乏しかったので、週末に料理教室に通って、パンとケーキ作りの基礎を学びました。
飲食店を開く際に必要な食品衛生管理者の資格も取得しました。本当は、調理師の資格も取得したかったのですが、そのためには、大学や専門学校で関連した課程を修了した者や、2年以上の調理経験がないと受験する資格なかったので、開店後、実践を積んだあとにしようと思いました。
また、それと同時に、私が赴任していた窯業技術センターは陶磁器関係の研究機関で、窯元さんとの交流も非常に多く、たった2年間ではありましたが、食器についての知識も増えましたので、お店で使う食器の選定にとても役立ちました。現在、カフェで使っている食器は、ほとんどが「波佐見焼」です。波佐見焼のPRにも日々勤しんでいます。
「Ruby Jewelry Café」の店内。客席数は約10席ほど。
夫の頑張りで国の補助金を受託。カフェ開業や具体化の後押しに
――やりたいことは山積みのなか、優先順位をつけて着々と遂行していったのですね。ご主人はどのような役割をなさったのでしょうか?
夫はお店の改装資金を得るために、国の補助金の申請に注力しました。補助金の申請書には、事業計画やお店のコンセプトなどの詳細を綿密に記載しなければならなかったので、商工会議所や役所へ何度も通っては相談をしながら、本当に頑張ってくれました。そのお陰で補助金を受託できました。このことは、お店を開く大きな後押しになりました。お店の改装には、シンクやトイレなど水回りの大規模な工事が必要だったのですが、その工事費が高額で、数年前からすると資材も高騰していて、お店を開くかどうか多少躊躇していたんです。だから、補助金を受託できたことで、開店へのハードルがかなり低くなったんですよね。
補助金の申請過程において、夫婦でお店のイメージや将来像などを話し合ったのは、会う時間もあまりないなか大変でしたが、今ではいい思い出です。申請書を作成するためには、店に関する多くのことを具体化していく作業が必要でしたから……。何度も話し合って、最終的に決めたお店のコンセプトは、ジュエリーカフェなので‶明るくきれいで、女性が居心地のいいカフェ〟でした。
――お店の改装に着手してからオープンに漕ぎつけるまでは、スムーズでしたか?
退職後、店の改装に着手しました。店の改装は専門業者の方たちと進めてはいたのですが、ハード面としては保健所の規定をクリアするのが大変でしたね。シンクを所定の位置に設置したり、厨房と客席の間にトビラを設けたりなど多くの基準をクリアする必要がありましたので、保健所から営業許可がおりたときは、本当にほっとしました。
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宮本さんは波佐見に赴任中の平日の夜は、地元の陶器の絵付け教室へ通ったり、バドミントンクラブに所属したりして、仕事以外にもかなり活動的な毎日を送っていたとのこと。忙しいけれど充実した当時の日々の様子を楽しそうに語ってくださいました。後編では、実際にカフェを開店してからの課題や現在の想いを中心に伺います。
宮本さんご夫婦が運営する「Ruby Jewelry Cafe/ジュエリーミヤモト」
Ruby Jewelry Cafe|ルビージュエリーカフェ
住所:長崎県長崎市魚の町6-15 中島川パークサイドビル1F
電話;095-821-1939
営業時間:10:30~18:30
定休日:日曜日
交通:長崎市内の電停「市役所」下車、徒歩約2分
取材・文/山津京子