静岡大学農学部教授として日々教鞭をとり、雑草学研究室で教え子たちと接している稲垣栄洋氏は「国私立中学入試・国語 最頻出作者」1位に連続してなる(※日能研調べ)など、小中学生にも愛読者が多い。そんな稲垣氏がライフワークである雑草と、イマドキな教え子たちを絡めてつづる『雑草学研究室の踏まれたら立ち上がらない面々』は自身を題材として描く“アンチ雑草魂”エッセイです。
頑張りすぎたり、細かすぎたり、要領が良くなかったり……不器用だけどまじめで実直な彼らとの日々は、常識に凝り固まりがちな教授のアタマと心をゆっくり溶かし、やがて気づかせてくれます。指示待ち学生が適確な指示を与えられたときに発揮する大きな力や、好きなことしかやらない学生の視野の狭さがニッチな発見を生むことに。
効率を求めムダを省くのが優先される時代に、自分の武器をどう見つけるのか?
著者は苦労している割に報われない若者に、どんな言葉をかけるのか?
生きづらさに悩むZ世代、Z世代との付き合いに戸惑う中高年へ。「立ち上がらない」という生き方戦略を伝えてくれる一冊です。今回はその中から一部を抜粋してお届けします。
「雑草学研究室の踏まれたら立ち上がらない面々」
稲垣栄洋/小学館 1540円
※本稿は、稲垣栄洋『雑草学研究室の踏まれたら立ち上がらない面々』(小学館)の一部を再編集したものです
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静岡大学農学部教授として日々教鞭をとり、雑草学研究室で教え子たちと接している稲垣栄洋氏は「国私立中学入試・国語 最頻出作者」1位に連続してなる(※日能研調べ)な...
ミッション成功、ライス教授お手柄! しかし……
さっそく、私はササユリとタカサゴユリの交雑を行うことになった。
もちろん、ササユリとタカサゴユリは、種が異なるから、通常の交配では種子を作ることができない。
ユリは雌しべが長く、おそらくは、この長い雌しべの中を花粉管が伸びていくときに、別種の花粉は異物として排除されると考えられている。そのため、雌しべを短く切断して、種子の元になる胚珠に近いところに花粉を授粉することで、種の壁を越えて雑種を作りやすくなることが知られている。
ただし、こうしてできた種子の元になる雑種胚は、そのままでは種子に成長せずに死んでしまうことが多い。そのため未熟児を保育器の中で育てるように、種子の発達に必要な栄養素を含んだ培地の上で雑種胚を育てる。こうして、雑種の苗を育成するのである。
その結果、どうだったろう。
何と、見た目はササユリに近く、1年以内で開花する新しいユリの品種を作り出すことに成功したのである。
もっとも、そのユリを開発するのに3年要したから、ユリの花が見られたのは4年目になってしまった。
結局のところ、目的としたイベントには、間に合わなかったのである。
井西さんが紹介したのは、この仕事に関する私の論文だった。
そして、思い切ったように言った。
「私、タカサゴユリの研究がしたいです」
「えっ、いつから、そう思っていたの?」
「最初に先生のところを訪問したときからです」
「えっ、そうなの? それならそうと最初から言ってよ〜」
雑相タイムでしゃべりすぎた──
と、私は直感的に反省した。
研究室にやってきたばかりの学生にとって、教授は気軽に話しにくい存在でもある。その緊張をほぐそうと、ついつい私がしゃべることになる。しかし、会話がはずんでいるように思えても、気がつけば私ばかりがしゃべりすぎて、学生が聞く一方になってしまうことが起こりやすい。できるだけ学生が話しやすいように、よほど注意しなければならないのだ。
井西さんは最初からタカサゴユリの研究をしたかったのだ。そのために、この研究室に来たのだ。それなのに、私は彼女にそれを言い出す機会を与えていなかったのである。
Leader(リーダー)の「L」はListen(傾聴する)の「L」である。
私は昔から大切にしている言葉を、呪文のように心の中で唱え直した。
聞けば井西さんは、私が授業の中で、ササユリの研究の失敗談を笑い話として話したのを聞いて、タカサゴユリに興味を持ったらしい。
「でも、タカサゴユリの花は小さくないよね?」
雑草とはいえ、タカサゴユリはユリだから、他の雑草に比べるとずっと花が大きい。
「ユリの中では小さくてかわいいじゃないですか!」
確かにそうだ。他の雑草に比べれば花は大きいが、他のユリに比べればずっと小さい。
井西さんは、私のタカサゴユリの話を聞いて「小さくてかわいいユリ」が作れるのではないかと思ったらしい。
小さくてかわいい花に興味があると言ったのは、「雑草の花」ではなく、「園芸的な観賞用の花」だったのである。
タカサゴユリの花も、比較する相手によっては大きいと言われたり、小さいと言われたりする。
だから、比べてはいけないのだ。
私はわかったような気になった。
井西さんが着目したのは「小さく咲く」という雑草性である。
小さく花を咲かせることは雑草の真骨頂である。
本当は大きく育つはずの雑草が、道ばたで踏まれながら小さく花を咲かせているのをよく見つける。しかも、雑草のすごいところは、ただ、小さくなるだけではないということだ。どんなに条件が悪いときにも、必ず花を咲かせるというのが、雑草の特徴である。
タカサゴユリは、雑草のユリなので「小さく咲く」という特徴を持っている。
一般に、ユリは大きくて豪華なイメージがある。
しかし、井西さんはタカサゴユリのように小さく咲くユリの品種を作りたいというのだ。
雑草の研究には、「雑草の防除」と「雑草の生態解明」と「雑草の利用」があるが、中でも私が面白いと思うのは、「雑草の利用」だ。
私の学生時代の恩師であるO先生は「雑草利用学」を提唱する「雑草の利用」の第一人者だった。私が雑草学を志したのは、学生時代に聞いたO先生の授業がきっかけだ。
漫画やテレビ番組などで敵キャラが味方に転じる展開があるが、難敵だと思っていた「雑草」が味方になるなんて、ワクワクする展開だと思わないだろうか。
「雑草のユリを利用するアイデアは面白いね!」
私は井西さんの考えに感嘆した。
「どれくらい小さいユリを作りたいの?」
「かわいいポットに植えて、机の上に置けるようなユリを作りたいです」
「テーブルの上に置けるテーブルリリィか、いいね!」
確かに小さなタカサゴユリの個体くらいの大きさであれば、テーブルの上に飾ることができる。
井西さんが考えたのは、「かわいいユリ」と小さく咲く「タカサゴユリ」の掛け合わせだ。
新しい品種を作るという仕事は、華々しく思えるかも知れないが、そのじつは、地道な作業の連続である。
気温40度を超えるような真夏のビニールハウスの中でひたすら交配を行い、交配がうまくいけば、実験室の中で雑種胚を取り出して、培養をする。井西さんは、ひたすらこの作業を繰り返した。
私が神さまなら、すぐにでも井西さんに小さくてかわいいユリを授けたことだろう。
しかし、ユリの神さまは、簡単には新しい品種を許さなかった。
彼女の作り出した雑種は、どれもタカサゴユリに近くて、イメージするような「かわいいユリ」が得られなかったのである。本来であれば、この雑種に再び「かわいいユリ」を交雑して、いっそう「かわいいユリ」に近づけるという作業を行う。しかし、品種育成には時間が掛かる。学生の彼女にはそんなに時間を掛けている余裕はない。