「働き盛り世代が知っておくべき健康寿命を延ばす術」シリーズ。今回は難聴の後編である。聞こえにくいと自覚を持つ日本の難聴者数は1430万人(補聴器工業会調査)。人口に対する比率は11.3%で、世界で3番目に多いと報告されている。
加齢による聴覚の衰えは誰もが感じているが、一方で2018年に世界保健機関(WHO)は、大音量を長時間にわたり大音響を聴いていることで、聴覚障害になる恐れのある12~35歳の若い世代は、世界で約11億人に及ぶと警鐘を発した。WHOの示した国際基準によると、聴覚障害にならない安全な音のレベルの目安は、大人で音量80dB(デシベル)、子どもは75dBをそれぞれ1週間に最大40時間としている。
だが、ちょっと待ってほしい。若いときから無意識にヘッドホン等で、大きな音を聞き馴染んできたビジネスパーソンは相当数に及ぶ。難聴者や難聴予備軍は、想像以上の多いのである。
“微笑みの病”に隠された恐怖
前編のポイントをまとめると、音は脳で理解する。音を脳に届ける役割が耳で、その要は内耳にある毛に覆われた有毛細胞。音が入るとこの毛が曲がり、それが音として神経を通して脳の聴覚野に伝わる。
ところが加齢や、大きな音を長年聞き続けると、有毛細胞が抜け落ちてしまう。音を感知する細胞の減少が難聴の大きな原因だ。抜け落ちた有毛細胞や有毛細胞の毛が再生することはない。難聴は完治が極めて困難な疾病なのだ。
なぜ認知症を併発するのか
「難聴は“微笑みの病”と言われています」
それは今回レクチャーをお願いした防衛医科大学校 耳鼻咽喉科学講座 水足邦雄医師の指摘だ。相手の言葉がはっきり聞き取れないから、愛想笑いや相槌を打ってごまかす。会話のコミュニケーションから遠ざかることで孤独感を深め、うつ病を発症する人も珍しくないという。
音を脳に届ける入口がシャットアウト状態だと、言葉を聞き分け内容を理解し予測して反応する、聴覚野という脳の部位の働きが極端に減る。使わない筋肉はやせるのと同じで脳の機能は低下する。すると何が起こるのか。水足邦雄先生は言う。
「難聴による脳の機能低下は、認知症を誘発する要因の一つなのではないか。世界中でそんな研究が行われています。近い将来、難聴と認知症の深い関係が立証できると思っています」
耳を酷使し続けた、特に加齢が加速する40~50代のビジネスパーソンには、難聴やその予備軍が相当数に及ぶ。それを踏まえて先生は言う。
「聞きづらさを感じたら、耳鼻咽喉科での聴力検査をお勧めします。自覚がなくても45歳以上の方は、出来れば年に一度は検査を受けてほしい」
聴力検査の結果、難聴と診断がくだった場合、一体どうすればいいのだろうか。水足先生は即座にこう応える。
「いち早く補聴器を使うことを勧めます。言葉を聞き取ることを諦めてはいけません」
注意したいのは、補聴器と集音器は別のものという点だ。家電量販店等で販売されている集音器は、単に音声を拡大増幅する装置だが、補聴器は医療機器である。難聴者は人によって聞こえ方が異なる。補聴器は専門のトレーニングを積んだ「補聴器相談医」、または「認定補聴器技能者」が、その人の聴力に合うカスタマイズしたものを提供してくれる。
補聴器=脳のリハビリ
「補聴器も今はデジタル化して、音の調整が簡単にできるようになりましたし、雑音をカットする機能もアナログ時代の補聴器と比べ、かなりよくなりました」
――でも、補聴器をすると、周りの雑音も聞こえてうるさいと、使いづらさを訴える人もいます。
そんな問いに、水足先生はこんな解説を加える。
「正常な耳は脳が無意識に雑音の中から、必要な言葉を選んでいるんです。ところが何年も聴力が低下した状態を放置すると、雑音を聞かなくてすむ生活に慣れてしまう。そんな難聴者にとって、世の中は雑音が少ない静かな世界なんです」
――補聴器をすることで雑音と会話が混じって聞こえる、だから“”うるさい“と感じる。
「補聴器を使いこなすにはトレーニングが必要です。長い間、雑音がない静かな暮らしの中にいると、脳が衰えてしまっている。補聴器を使い、音の正確な情報を脳に届けることは脳のリハビリになります。雑音の中から必要な言葉を選び出す、正常な脳に鍛え治す。音を聞く脳の聴覚野は、思考や感情の部位ともつながっていますので、脳の活性化を促します」
補聴器の形も進化を続けている。耳にかけるタイプ、耳の中に入れるタイプ、スマホのイヤホンと同じような形で、Bluetoothに対応する補聴器もある。
身近な突発性難聴という病
近年、突発性難聴という疾病をよく聞く。例えば歌手の浜崎あゆみは、2000年に突発性難聴を発症し、「左耳は機能しておらず、治療の術はないと診断された」と公表している。働き盛りのビジネスパーソンにも多い疾病だ。
内耳の蝸牛という器官に行く血管が詰まる。ウィルスによって炎症が有毛細胞の損傷を引き起こす。自己免疫の暴走による有毛細胞への攻撃等、諸説あるがはっきりとした原因は不明である。水足先生は言う。
「突発性難聴になると、一時的に有毛細胞への血液が途絶えて栄養がいかなります。適切な薬で早く治療しないと有毛細胞が機能不全となり、難聴は元に戻りません。ただ、突発性難聴は片耳におこる病気なので、仕事に忙しい人などは病院に行かず、そのまま放置する人が多いんです。また、突発性難聴の3人に1人は自然に治ります」
価格の高さを乗り越えて
突発性難聴を放置し、片耳が難聴になった場合でも先生は補聴器を勧める。
「両耳で聞かないと、音の来る方向がはっきりしません。雑音の中で会話をするときにピントが合わず、声がクリアに聞こえないときがあります。聞こえにくい耳に補聴器を付ければ、会話はクリアになり、ストレスを軽減することができます」
ネックになるのは、必要な機能の付いたもので片耳12~13万円する補聴器の価格だ。高度難聴者は別にして、超高齢化で医療費が高騰を続ける中、公的な補助金はあまり期待できない。そんな現実もあってか、日本人の難聴者の補聴器の利用者は約14%と言われている。
だが、「難聴の克服に補聴器は必需品」と水足邦雄先生は言葉を続ける。
「特に45~65歳の難聴者、あるいは難聴予備軍の方は聞こえづらさを改善し、孤独化、うつ病、認知症等の予防することが大事です。難聴を克服するには今のところ補聴器しかありません」
難聴は完治が極めて困難な疾患だ。片耳でも聞こえづらさを抱えるビジネスパーソンは相当数に及ぶ。
聞こえづらさを抱える人たちは孤独化、うつ病、認知症のリスクが高い。それらリスクを予防し、人との交わりを末永く続けるために、補聴器は生きる上での“杖”のような働きをするものなのだろう。
取材・文/根岸康雄