■連載/あるあるビジネス処方箋
前々回と前回で、2024年と25年の新卒(主に大卒、大学院修士)の採用試験について株式会社プレシャスパートナーズ取締役の矢野 雅氏に取材を試みた。今回は、私のこれまでの取材経験を通じて得た情報や知識をもとに補足をしたい。特に前々回と前回で取り上げた「母集団形成」にフォーカスを当てる。
母集団形成の目的と効果は?
母集団形成は大企業やメガベンチャー企業が長年、得意とする手法だ。明確な定義はないのだが、一言で言えばエントリー者を募ることだ。
日々の事業活動や広報活動をはじめ、毎年の新卒、中途の採用試験の際のPR活動を総称するケースが多い。この活動の繰り返しで知名度が上がり、信用やブランドがつくられる。その優劣で、エントリー者数が多いか否かが決める。
製品や商品、サービスに大ヒット作や市場シェアで上位にランクされるものが多く、しかもそれが長きにわたると企業の知名度は上がる。そのうえ、子どもから高齢者まで広い層に支持されると、ブランド力はますます強くなる。新卒採用においてエントリー者が多いのは、得てしてこういう企業だ。ある意味で、その企業や製品や商品、サービスが社会のインフラ(生活基盤)になっている。
だが、ここ10年前後、中小ベンチャー企業の採用担当者やその上司(管理職)の6~7割程がこう言う。「母集団形成は時代錯誤。少子化時代の今、そんな手法は通用しない。大量に学生を集め、大量に不採用にしている。そんなにして選んだ人材でも、バンバンと辞めている」。一部の経済雑誌やビジネス雑誌、ニュースサイトがその発言をそのまま掲載している。
結論から言えば、これは事実誤認だ。大企業やメガベンチャー企業の大半が程度の違いはあれ、母集団形成をしている。例えば求人サイト、自社のホームページでの採用試験の案内、各種就活イベントでのPR、マスメディアの取材を繰り返し受けるなどだ。もちろん、ふだんから市場シェアの高い製品や商品、サービスを大々的に販売をしている。CMや各種メディアへの広告掲載、社会貢献活動も盛んだ。
だからこそ、各業界の最上位(売上や正社員数などの総合評価)3社やメガベンチャー企業の5社程は新卒の採用試験でプレエントリーが5~15万人、本エントリー(正式なエントリー)は8000人~2万人となる。
伝統的に人気のある商社、銀行、IT、メーカー、テレビ、広告、新聞(全国紙)の業界の最上位3社はプレエントリーで20万人、本エントリーで3万を超える場合がある。内定者は30~50人であるので、倍率は相当に高い。
ここまでエントリーが多いならば、「時代錯誤」とは言わないだろう。こういう大企業やメガベンチャー企業は、エントリー者をかき集めているのではない。求人のアナウンスをするだけで大量に押し寄せるのだ。それほどに人気がある。
それに対して中小ベンチャー企業は採用力が弱いがゆえに、かき集める路線が多い。例えば、前々回と前回の記事で説明したようにTwitterやブログ、Facebook、YouTubeを使い、アピールする。それと並行し、人材紹介会社に登録する学生をスカウトする。大企業やメガベンチャー企業の母集団形成を「時代錯誤」と否定しながら、実は自分たちもしているのだ。
なぜ、ここまでしてエントリ―者を募るのか。それは、経済合理性があるからだ。少なくとも、次に挙げたメリットがある。
1,大企業やメガベンチャー企業の社員(特に20代)は、中小ベンャーよりは定着率が高い。厚生労働省の調査で明らかである。
2,一定水準以上の人材が定着すると、「密度の濃い競争の空間」が出来上がる。優秀な人材が刺激し合い、競争をすると仕事を覚えるスピードが上がり、消化できる仕事量は増える。上司からのフィードバックが増え、仕事の質は上がる。
3,個々の社員の仕事力が総じて高いために部署や会社全体のレベルが上がる。
とはいえ、会社の業績(売上や営業利益)が必ずしも上がるわけではない。それは、個々の社員というよりは、歴代のトップマネジメント(経営層)の力や責任と言えよう。
なお、「大企業やメガベンチャー企業の社員(特に20代)は、中小ベンャーよりは定着率が高い」と前述したが、下記の図(「新規学卒就職者の事業所規模別就職後3年以内離職率」 新規学卒就職者の離職状況、平成31年3月卒業者)をご覧いただきたい。
厚生労働省が新卒入社で3年以内に辞める「離職率」を規模別(従業員数をもとに区別)に年ごとにわけたものだ。高校、大学ともに社員数が少なくなると、入社3年間の離職率が上がる。「99人」以下では大量に辞めている。
中小ベンチャーの多くは、この「99人」以下に該当する。大企業やメガベンチャー企業は、「1,000人以上」になる。双方を比べると、歴然とした差があるのがわかる。仮に大企業やメガベンチャー企業が「バンバンと辞めている」ならば、中小ベンチャーは「バンバンバンバンバンバンバンバンと辞めている」ことになる。
■ 新規学卒就職者の事業所規模別就職後3年以内離職率 ( )内は前年比増減
業所規模 |
高校 |
大学 |
5人未満 |
60.5% (▲1.4P) |
55.9% (▲0.4P) |
5~29人 |
51.7% (▲1.1P) |
48.8% (▲0.6P) |
30~99人 |
43.4% (▲0.7P) |
39.4% (+0.3P) |
100~499人 |
35.1% (▲0.8P) |
31.8% (±0.0P) |
500~999人 |
30.1% (+0.1P) |
29.6% (+0.7P) |
1,000人以上 |
24.9% (▲0.7P) |
25.3% (+0.6P) |
厚生労働省のホームページから抜粋
企業は人の生活や人生を預かるのだから採用時に多くのエントリー者と会い、慎重に選抜をするのは重大な責任だと私は思う。それをまっとうに遂行しているのが、母集団形成で大量のエントリ―者を集める企業なのではないだろうか。
文/吉田典史