フォトペインティング
1960年代、リヒターは報道写真や雑誌などのモノクロ写真から集められたイメージを、絵画という手法を用いて模写しており、そこにぼかしを入れた作品のことを「フォトペインティング」と呼んでいます。その高度な絵画技術に支えられた絵画は、まるで写真と錯覚するようでありながら、意図的にカメラのピントがずれたかのようにぼかすことで、写真なのか絵画なのか、具象なのか抽象なのか、そのあいだを行ったり来たり繰り返し、イメージが不明瞭のまま目の前に存在させることに成功しています。
それは「見る」という行為に対してのリヒターの問いでもあるのです。
事実、リヒターはこんな言葉を残しています。
「我々が見ている現実をあてにはできません。人が見るのは、目というレンズ装置が偶然伝え、そして日常の経験によって訂正された映像だけなのですから。それは不十分であり、みるものすべてのほんとうの姿はべつなのではないか、と好奇心をもつからこそ、描くのです」
リヒターの「フォトペインティング」をこれほど端的に表す言葉はないでしょう。
ウォーホルとの決定的な違い
おなじく写真を素材とした「アンディ・ウォーホル(アイデアノミカタ第1回参照)」との違いとして、ウォーホルは有名人のアイコンに関心を示したのに対して、リヒターの興味はそこにはなく、日常の家族写真など変哲ない写真に関心を示しました。
写真では平凡であっても、「フォトペインティング」に転用することで、見過ごされてしまいがちな小さくて不確実なものに、視覚的表現を与えようと試みているのです。
そのなかでも「ベティ」という作品はこの時代の傑作で、後ろ姿の自分の娘の写真を撮り、絵画としてぼかすことで肖像画とポートレイト写真のあいだを絶えず思考する作品として成功しています。
アトラス
60年代からはじめたフォトペインティングのための素材探しがきっかけとなり、それを集約したものを、リヒターは「アトラス」と呼ばれる作品にして、80年代から発表しています。
5000枚以上の写真や600枚以上の図版パネルからなる作品は、山岳地帯、空の風景、都市の鳥瞰図、湾曲されたイメージ、ポートレイトなど、現在も増殖しているのです。
これはリヒターの知の冒険の痕跡であり、アートワークの原材料でもあるのです。そして鑑賞者はリヒターというアーティストの思考の膨大な観察の眼を浴びることで、リヒターという人間に近づくのです。
マルセル・デュシャンへの反抗
1966年に描いた作品「エマ(階段上のヌード)」は、この時代のリヒター作品としては最も論評の対象となった絵画です。なぜならこの作品は、マルセル・デュシャンが1914年に描いた「階段を降りるヌード」以降に絵画の終わりを宣言したことへの反抗であるからです。具象絵画にはまだ先があり、これからも続いていくというリヒターの声明でもあるのです。事実、90年代にはいってからは絵画作品の「エマ」をふたたび写真に撮り、拡大した作品を発表しました。これは絵画と写真にゆさぶりをかけると同時に、具象絵画には、レディメイドとしての絵画でさえ可能であることを見事に証明しています。
マルセル・デュシャン・・・20世紀前半に活躍したアーティスト。「レディメイド」という、既製品の用途を消して立ち現れる美について、作品を発表しました。網目的な絵画を否定し、哲学する芸術を提示した、現代アートの父ともいわれる人物。
*マルセル・デュシャンの作品